
私たちができ得る施しには、いろいろな事柄があります。相手に対して暖かい真心を捧げる「心施(しんせ)」は、無財の七施のひとつに数えられる尊い施しです。
お釈迦さまの弟子のひとり、無尽意菩薩は観世音菩薩(以下「観音さまと」称します)より「相手の立場になって施しをする」慈愛のこもったありがたい教えを受けられました。この教えに感銘を受けた無尽意菩薩は、早速その教えを実行するとともに、教えを受けたお礼にと、自分の首に掛けてあった瓔珞(ようらく・首飾り)を観音さまに差し出しました。観音さまは「こんな高価なものは受け取れません」とご辞退されます。なんと言っても、その瓔珞は今で言う時価数億円以上のたいへん立派なものだったからです。
あまりにも真摯に「ぜひ、私の気持ちを受け取って頂きたい」と無尽意菩薩が観音さまに迫りますので、観音さまはお釈迦さまにこの事を相談します。するとお釈迦さまは「相手の気持ちを察してぜひ受け取るのがよろしいでしょう」と言われました。
結果観音さまは、無尽意菩薩よりその瓔珞をありがたく頂き、それを半分に切り、二つの首飾りにします。そしてひとつは、自分のお師匠さまであるお釈迦さまへ、もうひとつを多宝如来を安置する多宝塔へお供えされました。
この物語は、私の大好きな観音経(かんのんぎょう)に出てきます。施しというと、すぐに何かを相手に差し上げる行為を連想しますが、相手の気持ちを察し、その好意を受け取る。そんな施しがあることにも気付いてください。
心ばかりの物ですがと、相手に差し出されたとき「結構です」と断られたことや断った事が誰にでも一度や二度はあるはずです。そんなときは「受け取る施し」のこころを思い起こして実行してみましょう。
「差し上げるのも布施、受け取るのも布施」という活かされたこころの働きをを、観音経は「娑婆世界に遊ぶ」と賞賛されました。この場合 「遊ぶ」とは「活かされるいのち」に目覚めて行く自由自在なこころの働きのことでしょう。
【出典】観世音普門品第二十五
無尽意菩薩白仏言。世尊。我今当供養観世音菩薩。即解頸宝珠瓔珞。価直百千両金。而以与之。作是言。仁者受此法施。珍宝瓔珞。時観世音菩薩。不肯受之。無尽意。復白観世音菩薩言。仁者。愍我等故。受此瓔珞。即時観世音菩薩。(中略)受其瓔珞。分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔。無尽意。観世音菩薩。有如是自在神力。遊於娑婆世界。
上沼 雅龍