
先日、私の寺に小学校1年生位の女の子が3人訪ねてきました。そしていきなり、「この子のお葬式をして下さい」というのです。
私はびっくりして、「え!!誰のお葬式?」と聞きかえしますと、重ねて「この子のお葬式です」というのです。
最初は気がつかなかったのですが、一人の子がその手に、大事そうに抱えているものがあります。よく見ると、それは小さな猫でした。それも眠っているのではなく、死んだ小猫なのです。「どうしたの?」と尋ねると、車に跳ねられたのだそうです。「かわいそうに!!じゃあ、お葬式をしてどこかに埋めて上げようね」というと、やっとホッとした笑顔になりました。そして、子猫を玄関脇の日陰にそっと置くと、「私達、お花や線香をもってきます」といって、3人共勢いよく走って門を出て行きました。
やがて、2人はそれぞれ手にお花と線香をもって戻ってきました。でも1人だけは中々戻ってきません。「どうしたのかなあ?」としばらく待ちましたが、やはり戻ってきません。すると1人の子が「私、○○ちゃんの家まで行って見てくる」といって、私の止めるのも聞かずに、又走って出て行きました。
しばらくすると、その子はハァーハァーと息を弾ませながら戻ってきました。そして私に「和尚さん、もう○○ちゃんはここへはきません」というのです。目には一杯涙をためていました。わけを聞くと、○○ちゃんは家の台所で何か猫の食べ物(お供え)を探していたらしいのです。それをお母さんに見つかり、「猫のお葬式をするから、これを少しだけ頂戴」といったら「そんな馬鹿なことをするものではありません。それでなくても猫はあとで祟(たた)るんだから怖いのよ。そんなことより勉強でもしなさい!!」とひどく叱られ、自分の部屋に閉じこめられて出られなくなったというのです。皆さんはどう思われるでしょうか?
その子達は、ただ猫が好きだったということだけかも知れません。しかし、私にはそうは思えなかったのです。その子達は、その小さな猫の死を通して「いのち」ということを子供心にも感じているに違いない。「いのち」の尊さ、大切さ、重さ、そしてはかなさを肌で感じとっていると思いたいのです。
その純粋な心を、大人や親の「そんな馬鹿な」という一言で片付けてしまっても良いものでしょうか?
「わたしのいのち」も、「子猫のいのち」もかけがえのない唯一つのいのちなのですから......。自分のいのちを本当に大切にできない人が、他のいのちを大切にできる気づかいはありません。
姫野 晴道