
大きなことをなし遂げるために
力をあたえてほしいと
神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと
病気を賜った
世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった
求めたものは一つとして
与えられなかったが
願いは全て聞きとどけられた
福岡県のある病院のロビーに掛けてあった詩です。この詩がニューヨーク大学リハビリテーション科一患者の詩であることを、最近になって知りました。
力、富、健康、成功・・。これらは私たちがしあわせの条件として、常に求めているものです。しかし、これらが手に入れば本当にしあわせになれるのでしょうか。仏教はこの世をうつろい変化するもの、つまり無常とみています。無常の世において力、富、健康、成功などは一時の状態であって、ながく続くものではありません。ちょうど蜃気楼のようなものではないでしょうか。
10年ほど前、当時、岡山大学教授だったS先生は、大腸ガンの摘出手術後の検査で転移性のガンとわかり、余命半年から一年の告知をうけられました。週末にガンセンターで治療をうけながら、大学での講議を続けられていた先生を教授室に訪ね、いろいろなお話をうかがいました。主治医から余命わずかの告知をうけられたとき、人生観はどのように変わりましたか、という私の質問に、先生は「それまで大切なものが沢山ありました。仕事、家族、友達、趣味、老後、預貯金などなど。しかし告知をうけたとき、それらは大きな音をたてて、ものの見事に崩れていきました。それらが崩れたおかげで、本当に大切なものがはっきりと見えるようになりました。今は本当に大切なものにきちっとピントをあわせて、一日一日のライフスタイルで生きています。」と答えてくださいました。
それから2年6ヶ月ほど経った年の暮れに「これから入院をして治療をしてきます。元気になって退院できることを楽しみにしています。」とS先生から一枚のハガキが届きましたが、年が明け、まもなく他界されたことを2~3ヶ月後に知りました。
-しあわせ-を思うとき、財や健康など条件が満たされることを考えがちですが、本当のしあわせを感じることは、そういったものへ依存する気持がなくなったときではないでしょうか。S先生は、大学に通う道すがら、これまで気付きもしなかった道端に咲く草花に心躍り感動しています、と教えてくださいました。
村上 明道