
そろそろ秋のお彼岸の季節です。この時期は、多くの方々がお寺にお参りし、お墓参りや、或いは和尚様をお呼びして法要を営んだりされるでしょう。そして改めて「今日、生かされている」ということを感謝する期間です。
さて、今更の事ですが、お彼岸とは何でしょうか?字引してみると『理想の世界』(仏教語大辞典 中村元)と説明されています。では、どのような世界が理想と言えるのでしょうか?全ての生きとし生けるものが満足できれば良いのでしょうか?全ての夢や希望が叶えば良いのでしょうか?...「そんな事は理想論で現実にはムリだよ」などという声が聞こえてきそうですが...
では、理想のこと云々はやめて、現実について考えてみましょう。当然の事ですが私たちは一個の生命体です。私たちは、今ここで現実に、こうして生きています。それ故に生命体としての私たちは、本能的であるのかもしれませんが自分たちの事が可愛いものと感じるのです。
生きているからこそ自分の事を守りたくなる。生きているからこそ自分の事を一番に考えてしまう。けれども、そう思うのは決して私たちだけではありません。忘れてはならないのは私たちと同じように他の生命も、それぞれが同じように考えているということです。
つまり、『それぞれが尊い生命体である』(天上天下唯我独尊)という現実に注意を払うことが出来たならば、現実は速やかに理想の世界となり、彼岸の心になるのです。
『他己(ひと)をも自己(われ)と覚(し)るならば、これぞ菩薩の浄土なり』(菩提和讃)とあります。私たちの心の中には『他己(ひと)をも自己(われ)と覚(し)る』という澄んだ心を持ち合わせているのです。そして、その心が私達を浄土、即ち彼岸という理想の世界に導いてくれるのです。
金子みすゞさんの『星とたんぽぽ』という詩があります。
青いお空の底ふかく、
海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
(星とたんぽぽ 金子みすゞ)
極当たり前のように今を生きていますが、そうではありません。それぞれのご先祖様がいらしたからこそ。ご先祖様が1人欠けても、今の自分は存在しません。
極当たり前のように今を生きていますが、そうではありません。多くの方のお世話になっているからこそ。そのうちの1人と巡り会えなければ今日の自分はいなかったかもしれないのです。
眼に見えぬとも見ようとする姿勢が大切なのです。
瀧 玄浩