今月の法話

060 汝等請う、其の本を務めよ その1

【前 編】大本山妙心寺の開創と開山無相大師のご修行



 【どう活かす わたしのいのち】

 来る平成21年は臨済宗ご本山妙心寺のご開山関山無相大師の650年の御遠諱の正当の年であります。本年平成18年より、前もっての予修法要が厳修されます。

◎ご開山さまのご誕生とご出家

 ご開山関山無相大師さまは鎌倉時代の未曾有の国難元の来襲の文永弘安の時代、長野県信州の信濃源氏の流れをくむ高梨家にご生誕されました。高梨家は代々仏教とのご縁厚く、信仰深き家柄でありました。幼少の時(7才)、父高家と共に鎌倉に行き出家されました。

 当時鎌倉は北条氏を中心とした武家政権の中心地であり、建長寺、円覚寺の二大禅院を中心とした鎌倉禅の最盛期でありました。

 ご開山さまははじめ鎌倉幕府の執権北条氏の厚き帰依を受けておられた大応国師に相見され「慧眼」と命名され、ご修行に励まれました(32才)。国師遷化の後も鎌倉に止まり、また郷里信濃に隠棲して更なるご修行に励まれました。

◎京都洛北大徳寺の開山大燈国師とのお出会いと嗣法

 50才の時、建長寺の開山大覚禅師の50回忌の法要で「今天下の叢林の中、明眼の宗師は宗峰和尚(大燈国師)である」と聞き、早速鎌倉を発ち、京都洛北、大徳寺の大燈国師に相見し、参禅が許され、弁道に励まれました。

 国師が提示されました中国雲門禅師の「関」の公案(禅の真理を提示した問題)に参ずること2年にして立派にお悟りを開かれました。国師よりお悟りの証明書印可状を授かり「関山」の法号を授けられ「慧眼」の諱を「慧玄」と改められました。

◎美濃(岐阜県)の伊深の里の悟後の修行

 大燈国師のもとで修行を終えられたご開山さまは間もなく京都を去り岐阜県美濃の草深き伊深の里に草庵を結び聖胎長養の悟後の修行に専念されました。日中は農家のお百姓さんと共に働き、田を耕し、牛を放して「慧玄さん、慧玄さん」と親しまれ、夜は坐禅三昧で自己の心境を深められました。伊深はご開山さまの好個のご修行の道場でありました。

◎ご本山妙心寺の開創とご開山さまの入寺

 第95代花園天皇(1297~1348)は在位10年(12才即位~21才退位)で後醍醐天皇に譲位され上皇となられました。後39才でご出家され法名を「遍行」といい花園法皇さまと尊称されております。

 法皇さまは幼少より深く仏教に帰依されました。特に「仏法の高妙 心地の極理、只禅門の一宗に在り」のご見識から深く禅に帰依せられました。そして洛北大徳寺の大燈国師について参禅弁道20余年にして立派にお悟りを開かれました。そして国師からお悟りの証明書を授与されたのであります。

 後醍醐天皇の建武の新政が足利尊氏の挙兵により崩壊し、京都の北朝と、吉野の南朝の、南北朝の対立のはじまった初頭の年(1337)花園法皇さまは病床の大燈国師に師亡き後のよき師匠と、かねてからの念願でありました洛西の花園の離宮を禅寺に改めた時の山号と寺号を請われました。国師は山号を「正法山」、寺号を「妙心寺」と奏上し、関山慧玄禅師を後任のよき師匠として推挙されました。

 ここにご本山妙心寺は花園法皇さまの報恩謝徳興隆仏法の念願の道場として関山慧玄禅師を最初の住持開山として開創(1337)されたのであります。

尾関 義昭