今月の法話

058 いのちを拝む

 いのちって何だろう。尊いいのちというけど、命の価値とは何だろう。

 そんな疑問がささやかれるようなおぞましい事件が最近よくあります。

 いのちは一生に一回きりで、生まれたことといつかは滅してしまうことはわかっていても、その間をどう価値あるものにしていったらいいのか、さらに、肉体のいのちは限りがあるけれど、大いなる永遠のいのちを輝かせる人生だってあることを歴史上の人物から学びながら自分をどう活かしていったらいいのかが本当に大切な時代だと思います。

 妙心寺を開かれた無相大師が、その生涯の中でつらぬかれたのが「本来、人間はほとけそのものなのに、どうして迷ってしまうのか」と、その根本をしっかりと見据えることの大切さを教えています。

 昨年の6月下旬でしたが、地元の小学校6年生が修学旅行で奈良・京都へ行く前の事前学習ということで寺へやってきたことがあります。

 寺の内外を子どもなりに観察したのち、それぞれに質問をしてくれたのです。その中で一番多かったのが「ほとけさまって何ですか」「神さまやほとけさまはどうしてあるんですか」という質問でした。

 そこで私は答えたのです。

「奈良へ行っても京都へ行っても大きなお寺がたくさんあるんだよ。そしてそのお寺のお堂には大きな仏像がいっぱいあるんだよ。でも仏像だけがほとけさまでないよ。仏像はほとけさまを型にしたのであって、ほとけとは『こころ』のことをいうのだよ。そして、ほとけさまとは『いのち』そのものなんだよ。」

と説明しながら、子どもたちが仏像の前で無心になって、友だちの心に、また、大いなるいのちの中にいる自分の心に手を合わせてくることを期待したのです。

 大いなる恵の中ぞ 悦びは 尽きず

  ただ ただ 掌を合わすかな

 いのちの尊さを心で感じたとき、すばらしい生き方となることでしょう。

田尻 和光