
妙心寺のご開山、無相大師さまには、「本有円成仏、なんとしてか迷倒の衆生となる」というお言葉があります。
本有円成仏とは、『私たちは皆、本来、仏である』という意味です。仏というと、一般には、本堂やお仏壇にまつられている仏像や、亡くなられた方のことだと思われがちですが、それだけではなく、今を生きている私たち一人ひとりの中に尊い仏、すなわち純粋な人間性が備わっていると示されたのです。
さらに続けて開山さまは「なんとしてか迷倒の衆生となる」。仏であるお互いが、どうして迷いの日々を送らねばならないのか」と嘆かれています。それは、仏であるはずの清らかな心が、憎い・可愛い・惜しい・欲しいという気持ちが行き過ぎて、ものごとに執着し生き方をあやまる。そこから苦しみが出ててくるのだと言われました。
現代はストレス社会といわれるほど、私たちの心を乱す要因がたくさん存在しています。そして、ストレスに耐え切れなくなった私たちの心は、さまざまな病状におかされ、自殺・引きこもり・ニート・薬物依存・いじめ・うつ病等、さまざまな心の病が蔓延し、多くの人が苦しんでいます。
お釈迦さまは、人生には決して避けて通ることのできない4つの苦しみがあるとおっしゃられましたが、誰もが、悩み、苦しみ、病気になり、年を取り、やがては死んでいかねばなりません。
そのような人生の中で、「安らぎ、充実した日々を送りたい」......これは、現代社会に生きる人たち誰もが持っている、切実な願いなのではないでしょうか。では、わたしたちはどのようにすれば心の迷いから解放され、安らいだ心の状態を手にすることができるのでしょうか。
あるお婆さんが、辛いことがあり、死のうと思い詰め、ご先祖さまに最後のお別れに菩提寺へお参りに行きました。本堂に入ると、壁に貼ってあったポスターがお婆さんの目にとまりました。そこにはこのような詩が書かれていました。
《生きてゆく力がなくなるとき》
死のうと思う日はないが
生きてゆく力がなくなることがある
そんな時お寺を訪ね
わたしはひとり
仏陀の前に坐ってくる
力わき明日を思う心が
出てくるまで坐ってくる
(坂村真民)
お婆さんは、その詩を繰り返し繰り返し読みました。いつの間にか本堂で坐っておりました。坐っているうちに涙がとめどもなくこぼれ、「死んではいかん、生きなくてはいかん」という思いが心の底からふつふつと湧き起こってきました。
すっかり生きていく力をなくしていたお婆さんが、詩に出合うことによって静かに坐り、心と身の落ち着きを取りもどし、心の奥底にうずもれていた真の人間性が働き、お婆さんに生きる力を呼びもどしてくれたのだと思うのです。
私たちも、煩悩執着にとらわれ生きる力をなくした時こそ、静かに坐しましょう。すると、いつしか生きようとする前向きの心に目覚めることができるのです。
それには、「一日一度は静かに坐って、身と呼吸と心を調えましょう」と生活信条にも示されている通り、身と呼吸を調え、心を落ち着かせることです。すると、仏・純粋な人間性を取りもどし、今まであれこれ思い悩んでいたことが、無い物ねだりの我がままだったことに気づくのです。
そこで妄想執着で汚れた心の塵を払い、安定した安らかな心で日暮らしができるために無相大師は「請う其の本を務めよ」と言われました。
日々の慌ただしい生活のなかで、つい自己なる仏さまを忘れ、迷い悩み苦しんでしまいがちな私たちですが、自らの仏さまを信じ、その尊い心のままに坐禅をし、純粋な自己に目覚める。「今・ここ・自己」と集中して日々を生活することが最も大切な修行であると、開山さまは示されます。とりもなおさず開山さまの教え『その本を務める』生き方そのままなのです。
そうなれば、すべての苦しみから解放され、安らぎの境地で生きて行くことができるのだと、開山さまは650年のいにしえよりメッセージを送って下さっているのです。
私たち花園会員も、無相大師が示されたみ教えを我が心にいただきながら、自らの人生に活かしてまいりましょう。
五葉 光鐵