
梅の花が一輪、一輪と咲きはじめるこの時期。ひとつの花が春の暖かさを感じさせてくれるように、私たち一人ひとりのこころの温もりが、まわりを少し幸せにすることもあります。
先日、近くのお寺に所用で出掛けたときのことです。
そのお寺は多くの参拝客で賑わっており、庭先の大きな放生池にはたくさんのコイが泳いでいました。たまたま一緒だった私の子供は、ほかの人たちと一緒になって池のコイを眺めていました。しばらく池の淵で見ていると、知らない一人のおじいさんがコイの餌(麩の長い物)を子供に分け与えてくれたのです。それをもらった子供はうれしそうにコイに与えます。手にもっている分が全部なくなると、そのおじいさんは手持ち袋の中から何回も何回も餌を出して子供に分け与えてくれました。しばらく、その様子を近くで見ていた私は、執拗なほどの親切な姿から「何か怪しい人だなあ」と思いました。それから、少し心配して見ていましたが、袋から最後の一本を取り出すと子供と一緒になって池に投げ入れてくれました。コイが食べ終わると、その知らないおじいさんは子供たちに笑顔で「よかったねー。よかったねー」とだけ言い残して、その場から立ち去ったのでした。私の不安な顔とは対照的な子供のとてもうれしそうな笑顔を見ているうちに、私の心は次第に温かくなりました。
観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)には、『仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり』と説かれています。慈悲とは自然とせざるをえないという心の働きでもありましょう。相手の喜びを自分の喜びとして、相手の悲しみを自分の悲しみとすることで、喜びは二倍に、悲しみは半分になるかもしれません。
また、母親の子供に対する心には報いがないように、母親はただただ、子供のためを思っています。その心と同じ、無条件で人のことを思える慈悲の心、仏心が私たちには具わると諭されるのです。
後から考えてみると、そのおじいさんにはありのままの「仏のこころ」が生き生きと働いていたのでしょう。しかし、私はそのおじいさんの「こころ」に気付くことなく、迷惑な人だと自分の都合のいいように判断してしまったのです。
惜しみなく与え尽くしてくれたおじいさんのおかげで、私たちは幸せな一日を過ごすことができました。
自らを振り返り心を調えてみると、世の中は心の底から人のことを憂い思いやる人「仏さま」で満ちあふれていることに気付けます。一人ひとりの温もりによりお互いが信じあい、支えあうことで、世の中を幸せにすることができると思います。
さあ、あなたのこころの温もりで世の中を幸せに......。
西川 知孝