
「おさなごの しだいしだいに知恵づきて 仏に遠くなるぞ悲しき」と古歌にも詠まれていますが、本当に小さな子供は仏様のように感じることがあります。そして我々大人が見習わなければいけないと思わされることもよくあります。
以前こんなことがありました。よちよち歩きの子供たちを遊ばせている時、一人の子供が転んで泣き始めてしまいました。すると、そばにいた子供がその子の前に倒れこみ同じように泣き始めたのでした。「真似をしているのか?」と思いながら成り行きを見ていましたら、初めに泣き始めた子供が不思議そうな顔をしてもう一人の顔を眺め、しだいに泣きやみ、ついには二人で、「きゃっ、きゃっ」と笑い始めたのでした。大人ならその子をどうするでしょうか。抱き上げ「おーよしよし」と機嫌がなおるまでだっこするでしょう。私もそうしようと思っていたところでしたので驚きました。そして「こういう慰め方もあるのか」と感心しました。
仏教の実践行の中に「同事」というものがあります。相手と同じ立場、同じ心になることです。さきほどの小さな子供は意識しなくても、「同事」を実践していたのかもしれません。
昨年末以来、世間を騒がせているホテルやマンションにおける『耐震強度偽装』の問題があります。どうしてこんなひどいことが行われたのか、今現在捜査中なので、個人的な意見は言えませんが、設計者や工事にあたった関係者に「この建物には自分が、そして妻や子供たちが住むのだ」という気持ちがなかったことだけは想像がつきます。実際そこに住む人の気持ちになれなかった。赤の他人ではなく「自分たちが住むのだ」という気持ちがあったなら、あのような耐震強度のない建物は怖くて建てられなかったはずです。
法隆寺大工の棟梁、西岡常一(にしおか つねかず)さんによると伽藍を造営する大工達への教えと戒めが、代々口伝となって伝えられているそうです。その中に、
「家宅は住む人の心を離れて家宅なし」
というものがあるそうです。これは「家宅を造るならそこに住む人の心を受けて、その意を汲んで造作しなさい」すなわち、「大工のわがままや、自分の儲けだけを考えて造ってはいけない。そこに住む人の気持ちになって造りなさい」ということです。
我々の暮らす現代社会は、素晴らしく進んだ科学文明を持ち、便利な暮らしをさせてもらっています。しかし今、大人たちは人として素晴らしい生き方というものを子供たちに見せているでしょうか?。仏に遠くなってしまった現代の大人は、逆に昔の人から学び、子供たちから教えてもらうことがあるのではないでしょうか。
寺町 宗峰