今月の法話

046 冥利に生きる

 日本は今年、戦後六十周年を迎えましたが、これは人間で言えば還暦にあたります。還暦とは、数え歳の六十一になれば、十干と十二支から成る六十通りの干支(えと)が一巡し、その人が生まれた年と同じ干支になる為に、第二の人生の出発として祝う行事です。

 今年は、日本が太平洋戦争に敗れた昭和二十年と同じ乙酉(きのととり)ですので、言わば第二の戦後が始まる年だとも言えるのです。あらためて先人達のご苦労や、戦争や平和について考えてみたいものです。

 さて、文学者の吉本隆明さんが以前読んだ対談の中で、「戦後の日本は営利・便利・権利を追求してきた」と語っておられましたが、近頃の世相を見ていると本当にそうだなと思います。

  戦後日本は大変な経済的発展を遂げて、不況だと言われる今日でも、アメリカに次いで世界第二位のGDPを誇っています。スーパーに行けば、ノルウェー産のお魚やオーストラリア産の牛肉など、世界中の食材が所狭しと売られています。

 また六十年の間に随分暮らしも便利になりました。スイッチ一つでご飯が炊け、お風呂が沸き、洗濯が出来ます。家族それぞれの部屋にTVがあり、今や携帯電話を持っている中・高校生も珍しくはありません。

 さらには医療や社会保障も充実し、平均寿命も百年間で二倍以上延び、世界一の長寿国(男女平均)となりました。働く女性の社会進出も目立ちますし、高校を卒業後の進学率は、大学や短大、各種専門学校なども併せると75%近くに達しています。

 日本の歴史上、こんなにも豊かな時代はかつて無かったでしょうし、世界の国々と比べても、現代の日本ほど自由で恵まれた社会はどこにも無い様に思います。

 ところが、そんな我が国でここ数年、毎年三万人を越える方々が、その尊い生命を自ら絶っておられます。またニートと呼ばれる仕事もしない、学校にも行かない若者が八十五万人を超え、更に増加していると言われています。


ジベタリアン

 またTVや新聞紙上では、驚くような凶悪犯罪が連日報道され、少子高齢化もあいまって、社会全体に重苦しい閉塞感が蔓延しているように思います。

 なぜこうなってしまったのでしょうか?

 それは、戦後の日本が戦前の思想や慣習の殆どを悪しき旧弊だと排除して、急速に西洋的な自由主義、個人主義を推し進めてきた事と無関係ではないと思います。私は、それが「営利、便利、権利を追求してきた」という事なのだと思います。さらに言えば、今日の社会の混迷は、私達自身が目に見える幸せや、自分の幸せばかりを追い求めてきた結果なのだとは言えないでしょうか。

 しかし、恵まれた環境に暮らしながら、人生の喜びを感じることができない、そんな現代だからこそ私は言いたい。「これからは、冥利に尽きるような生き方を求めて行きましょう」と。

 冥利って何でしょうか?「神仏の加護」という意味もありますが、冥という字には「くらい」とか「とおい」という意味があります。 

 例えば冥王星は、太陽から随分と遠い為、暗くてよく見えずに発見が遅れた星ですが、つまり冥福とか、冥利といった言葉には、「目に見えない幸せ」と言う意味があると思うのです。


冥王星(太陽からの距離は59億km)

 目に見える幸せが、大きな家やピカピカの新車、立派な肩書きなどだとしたら、目に見えない幸せ―冥利―は、生きがいや心の安らぎだと思います。

 目に見える幸せが、他者から奪い取るものだとすれば、目に見えない幸せとは、他者に与えてこそ、得る事が出来るものではないでしょうか。

 日本語には「冥利に尽きる」という言葉がありますが、やはり自分一人だけ良ければ良い、というような利己的な生き方では、冥利に尽きる人生は送れません。

 やはり人の身になって、誰かのお役に立ててこそ、生まれて来て良かった―冥利に尽きる―と思えるような人生を送る事が出来るのではないでしょうか。

  最後に、かつての戦争で亡くなられた方々は、けして私達子孫が自由気ままで、贅沢三昧な生活をおくるために犠牲となられた訳では無いはずです。多くの戦没者は、自分の家族や故郷を守るため、その尊い生命を落とされたのです。

 では、今私達がその方々のために出来る事とは何でしょうか。それは今を生きる私達が過去の過ちを忘れずに、未来永劫に渡り、平和な社会を築いていくことではないでしょうか。その為には、自分の立場や主義主張にこだわっていてはいけません。人の身になって、他人を思いやる心が必要なのです。

山本 文匡