
ハリケーン「カトリーナ」や「リタ」などがアメリカを襲い大変な被害をもたらしています。ハリケーンを女性名詞で呼んでいた習慣は1979年以降は男女同権を尊重して男女交互の名前がつくようになったそうです。
日本に来る台風といえば17号、18号と発生順に番号がついています。あまり知られていませんが、日本に来る台風にもアジア名がついています。今年(2005)の17号はサオラー(ベトナム語で、最近発見された動物の名前)、18号はダムレイ(カンボジア語でゾウを意味する)という具合です。
科学が発達した現代はハリケーンや台風の予測が何日も前から刻々とテレビなどで報道されます。しかし人工衛星のない昔、人は自然を観察してその地方に合う天気予報をしてきました。「今年は蜂の巣が木の下の方にあるから強い台風が来そうだな」とは古老の言葉。
私は田舎に住んでいますから自然の移り変わりというものを木や花、空の雲を見たりして肌で感じることが多いのですが、都会に住んでいる人たちはどうでしょうか。
もちろん温度の変化で季節を感じるのでしょうが、ショーウィンドウの飾り付けや流れる音楽などで春夏秋冬の変化を見るのでしょうか。都会と田舎を比べてどちらが良いとは言えません。毎年台風の被害に遭うからといって住んでいる処を逃げ出すのかといえば、人が生きるということはそう簡単なことではありません。
カール・ブッセの『山のあなた』という有名な詩は、
「山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう」という出だしで始まります。遠くを見つめて幸せを求め続けるという悲しいような切ないような詩ですが、私たち禅宗では違った見方をします。
臨済禅師の言葉に、
『随処作主 立処皆真』「随処(ずいしょ)に主(しゅ)と作(な)れば 立処(りっしょ)皆(みな)真(しん)なり」というのがあります。
意味は、「自分に与えられた場所で生き切れば、生きているその場が人として真実の処」ということです。
どういうことかと言いますと、何となく遠くの方ばかり見つめて惰性で生きていくのではなく、このお預かりした自分の生命(いのち)をこの場で生かし切るということです。
今が順境で楽しかろうと、たとえ逆境で苦しくても精一杯生きることが大切なことです。自分の人生を自分が主人公になって生きなければ真実から離れていくということです。不平を言い続ければ不平の主人公です。怒ってばかりいれば怒りの主人公です。真剣に生きれば真剣な主人公となります。季節や身の回りの環境を楽しみながら、そういうものに自分自身が振り回されることのない、主体性ある人生を歩んでいきたいものです。
江口 潭渕