今月の法話

039 報恩謝徳

 今から六百五十年も前、ご自分の離宮をお寺(妙心寺)として開かれた花園天皇には、「生まれた時から苦労なく物に恵まれて庶民の苦しみをいささかも顧みることなく育てられ、いつしか人の上に立った。そのような人が人の上に立ってはいけない」と、やがて天皇の位になることを約束された太子(後の光厳天皇)を誡めるために「才と徳を備えよ」とお諭しになられた文章が残されています。(『誡太子書』)

 その花園天皇が御在位中であった十七歳の一日の日記には、この度の大洪水で多くの人々が、田畑や家屋、衣類や食料を失ったばかりか親子兄弟生き別れか、死に別れか所在が判らぬままにさまよう姿に心を痛め、「人々の上に立って人々を護り導いてやらねばならないこの私に徳が無いからこのようなことが起こるのであろうか。もし、この私の命を捧げることによりこれらの人々の苦しみを救えるのならば、この私の命はいつ捧げても良い」と述べておられ、その後も世の人々の苦しみを終生にわたって我がこととされています。

 封建社会以前、人のあり方や社会の仕組みが全て誤っていたわけではないように思われます。かえって現代よりも明確な理念に基づいて人びとを導こうと心がけていたのではないでしょうか。愛媛県西予市にも七百年以上も前から領主に成り代わって民を治めていた家が続いていますが、その中の一当主が次のような文書を残しております。

 その当主は先年百六歳でこの世を去りましたが、旧庄屋のお講に際して、次のように呼びかけておられるのを拝見して驚きと感動を覚えました。「代々人びとの上に立って人々のおかげで暮らしてきた庄屋、名主の身分に生きてきた私たちは、そのことをひと時も忘れてはいけない。私はこれまで、一年の所得の一割は必ず社会のために使ってきた。これからも命のある限り、続けてゆきたい。どうか、皆さんもご賛同くだされば幸いです」と。

 先に述べた花園天皇は世の中が混乱して人々が苦しんでいるのを見て、我がことにして悩み苦しみ、仏道に入門されます。やがてお覚りを開かれ、心に安らぎを得られると、その後は仏法のご恩を忘れることなく報いて行きたいと願われました。今の時代は、目に見える何かの能力が優れていることだけがもてはやされます。しかし、「徳」は能力ではありません。悪いことをしないで、よいことを積み重ねて行くことによってのみ自然に備わってくるものであります。目に見えてよいことをするのは、意外と簡単なことですが、目に見えないところでも悪いことをしないのは大変難しいことで、これこそ「徳」を積む道です。

 絶えず徳を積もうと心がけて行くことこそ「報恩謝徳」の願いに通じる生き方でありましょう。今こそ、そんな生き方に目覚めてまいりたいと思われてなりません。

小田 実全