
四国遍路がはやりである。同行二人と書かれた白衣を羽織り、只ひたすら次の霊場へ歩いていく。その歩きの中、次の霊場へという願いさえ忘れ、只行っている迷いのない自分に出逢うのであろう。只目前の事を行い心澄んだ時、佛に出逢い、教えに出逢い、温かく見守っている人と出会う。これを仏教では仏・法・僧の三宝という。三宝に帰依し修行実践した時、迷い多き此岸より彼岸、安らかな向こう岸に渡ることができるという。
四国遍路をしたという二十歳の女学生さんから話を伺う機会があり、若い人の歩き遍路が多くなっている事実を実感しました。彼女は、松山から高松まで歩き遍路を行ったそうです。私は「心に残る体験は・・・」少し考え「お接待かな」と話し始めました。
私は登山部なので歩くことには自信があります。目的地に向け黙々と遍路の旅を続けていました。ある日、歩きすぎて日も暮れるようになった時、山村を歩いていました。結局仕方なく、バス停で一夜を過ごすことになったのです。早朝一軒の家から車で出かけようとする家族がいました。バス停に来るとドアが開き小さな子供が飲食物の接待をしてくれたのです。人の温かさに触れました本当に有難かったです。
私は少し言葉を添えました。「お接待は、心の触れあいでモノではないんだ。あなたは可愛い子供の姿を見てきっと素晴らしい笑顔でお礼を言ったでしょ。子供もあなたの「ありがとう」を聞いて笑顔になったでしょ。きっと・・・巡礼をすると心が洗われるんだ。その時の人との出逢いや、自然の息吹に目がとまる時、迷いが消えはっと気付くことがある。心洗われた時の顔や言葉は、人の心を動かすことがある。親御さんも子供に施す事の心地よさ素晴らしさを教えたかった。そんな願いを以て子供の背中を押したんじゃないかな。良き人に出会って良い体験をしてくれと言う願いがきっと、あなたの満面の笑みの有り難うを引き出したのじゃないかな、願いがなければ道は開けないし、人は育たないものだというよ・・・」
すると彼女は涙を浮かべ、涙が頬を伝いました。止めどなく流れる涙に私は、何か傷つけた言葉は?...彼女は少し落ち着いたのか心の内を...「登山部の先輩が今も遭難しています。準備万端山に入ったのに、自然の驚異が想像を絶したんだと思う。大丈夫だと信じているんですが少し諦めていたかも...私、絶対願は棄てないようにします。」切々と話す姿に私も涙を...。何かが私の琴線にふれたのです。すると彼女はあなたが泣く事じゃないでしょ大丈夫?ぎこちない笑顔を作っている。自分の事はさておき人の身になる優しさ、仏心は皆にあると感じたのです。
此岸、苦しみの世の中で自分に関わりのある出来事は、色々な教えを与えます。教えを他人事でなく自分を戒め、辛い事があっても忍び、少しずつでも進みつつ、少し止まって自らを振り返り。迷いを棄て多くの願と共に歩む時、安らかな彼岸に至るのです。
逢(相田みつお)
相田みつおさんの作品に「逢」があります。不思議に引き込まれ見詰めていると、シンニョウ、長い道を、1人の人が、この下の部分を引くとボウ「草が盛んに茂る、見た目よい、姿、階」と在り成長の意味かなと考えていると...不完全な1人の人が一歩一歩懸命に歩む時、師に出逢い、教えに出逢い、仲間に出逢う。「歩みによって自分を完成させなさい・・・」私は作品に込められた願いを感じたのです。苦しみを他人事とせず、平和を願い、目前の事を切々と只行い、同志を得る時、彼岸に至るのではないでしょうか。
山崎 忠司