今月の法話

030 人の身になって尽くすとは

 サイエンスライター・生命科学者である柳澤桂子さんは、人生の最も充実できるはずの半分(三十一歳~六十二歳)の期間を、激痛を伴う原因不明の難病との闘いに費やし、筆舌に尽くし難い辛酸を嘗(な)めてこられました。

 現代の医療では、病名が特定されなければ、本人がどんなに痛みや吐き気や目眩(めまい)など身体を苛(さいな)む苦痛に苦しめられていても、「病気」とは認められない仕組みになっています。その為、単に気のせい、又は人間的に未熟で自己中心的な性格による「心理的原因」と決め付けられてきました。それが家族にも理解されず、彼女の苦しみを増幅したのです。

 結局、安楽死を決意する一歩手前で、奇跡的にも具体的な病名が明らかになり、劇的な快復をみるのです。

 彼女は著書でこう述懐しています。
「私の医療体験の中で最も辛かったこと」は「精神的な原因で病気になる様な人には手を貸す必要がないという態度で接せられたことである」と。

 さらに彼女は続けて、
「医師は(中略)『あなたの病気がなんであるのか、私にはわからない』などといったら、沽券に関わる。(中略)自分にはわかっていないのだということも、データが不足しているのだということもわからないまま、自分だけの知識と判断でさっさと病名を決めつけてしまう。(中略)自分は専門家であり権威者であるという意識が、いつしか無意識のうちに傲慢さをしみこませてしまうのである」と。

 これは医師に限らず、私達の誰もが陥る「我執(がしゅう)」の罠(わな)です。同事とは相手との垣根を取り払い、相手の立場になって同じことをする、菩薩行です。心を「無」にし自らを調える。その上で真摯な態度で相手の言葉や要求に耳を傾ける謙虚さこそ、私達の心を耕し、智慧を掘り起こすのではないでしょうか。

梅澤 徹玄