今月の法話

081 どちらもいい

 やわらかな春の日差しとともに今年も待ちに待った桜の季節がやってきました。私のお寺の周りでも、庭でそして山でたくさんの桜が咲き誇っています。また、桜だけでなく大小さまざまな花たちがあちらこちらで咲いています。まるで春の訪れを喜ぶかのように。

 先日、私の五歳になる娘がこんな質問をしてきました。「お父さん、桜とタンポポどっちが好き?」。彼女は最近「どっちが好き?」という質問が好きで、いろいろなものを比べては聞いてきます。そしてどちらか一つを選ばないと納得しないのです。その時、私はとりあえず「両方好きだけどどちらかと言うと桜かな」と答えました。すると彼女は「私はタンポポ」と言いました。私が「どうして」と尋ねると彼女は「だってタンポポの方が黄色でかわいいから」と答えました。そこで私が「桜もピンクでかわいいよ」と言うと、彼女は「そうか、じゃあどっちもかわいいね」と一人で納得していました。そんな彼女に私は「どっちも好きになってね。嫌いって言われた方はかわいそうだから。」と言ってその会話は終わりました。

 「春色高下なく、花枝自ずから短長」という禅語があります。暖かな春の恵みは全てのものに平等に降り注ぎます。それなのに咲いている花には大きさや色、形など自然と違いが生まれています。同じ恵みを受けているにもかかわらず...。しかし違いはありますがどれもがこの世でたった一つの尊いいのち、すばらしい存在です。「どちらが好き」とか「どちらがきれい」とか比べることはできません。またこれは決して花に限ったことではありません。人間をはじめ動物や植物などのいのちあるものは全てこの世で唯一無二のかけがえのない存在なのです。

 本来私たちは他者に対しても、自分と同じ大切ないのちを持つ尊い存在だと思う心を持っているはずなのです。ところが現在の私たちは、自分だけを大切に思い自分のことばかり優先し過ぎるあまり、他者を大切に思う心を忘れてしまっているのではないでしょうか。その結果、他者に迷惑をかけていることにも気付けない自分勝手な存在となってしまっているのです。

 「どちらがいい」ではなく「どちらもいい」という心を思い出せた時、私たちの過ごす毎日は今よりもっと優しさにあふれた毎日となるのではないでしょうか。私たちはみんな比べることのできないすばらしいいのちを持っているのですから。

今野 慈耕