今月の法話

099 足るを知るこころ

 石庭で有名な京都の竜安寺には、丸い石の蹲(つくばい・手を洗う手水鉢のこと)があります。この蹲は江戸時代の五文銭の様に真ん中に四角い穴が空けられていますが、そのまわりには上から右まわりに「五、隹、疋、矢」の4文字が刻まれています。実は真ん中の穴を「口」と読むと、「吾れ唯だ足るを知る」と読める仕組みになっています。

 昨年話題になった本に『求めない』(加島祥造著、小学館)という詩集がありますが、最近は不況と環境問題が相まって、ようやく日本人も行き過ぎた消費社会の問題に気がつき始めたようです。
 しかしまだまだ私たち日本人は、毎日たくさんのエネルギーを消費し、多くの二酸化炭素を排出していますので、今後「足るを知る」という教えは益々重要であると思います。

 ところで私は昨年末、お釈迦さまの足跡を尋ねてインドへ巡拝してきました。もちろんお釈迦さまにご縁のある遺跡はそれぞれに素晴らしかったのですが、そのほかに感銘を受けたのが、インドの人たちの暮らしぶりでした。
 近年、経済発展が著しいインドですが、大多数の人々の生活はまだまだ簡素で粗末なものです。田舎に行けば街灯などほとんどなく、夜になれば真っ暗ですし、中には裸足で生活している人たちも大勢います。
 しかし、けして彼らに悲壮感はありません。子供たちはみんな笑っていますし、街には活気が溢れています。店先でも田んぼでも、子供たちも大人に混じって仕事をしていますし、牛や羊や犬も人間と一緒に暮らしていて、むしろ日本人よりもよほど人間らしく幸せそうに見えるのです。

 「一体何故なんだろう?」と不思議に思っていると、現地ガイドのアシュラフさんのこんな話がヒントになりました。
 「日本人のお客さんはツアー最後の晩餐に、よくお世話になったバスの運転手さんもご一緒しませんかと誘われます。でも彼らはふだん素手で食事をしているので、ホテルでフォークやナイフを使って食事しても、けして美味しいとは感じません。彼らにとっての幸せは、いつも食べているご飯をおなか一杯食べられることなのです」
 つまりインドの人たちは、自分の生活と他人の生活を比較するのではなく、それぞれが自分自身の生活を満喫しているように思えるのです。もちろん、大変なことも多々あるでしょうし、全く問題がないわけではないでしょう。しかし、十分な環境に恵まれながら、いつも不平不満ばかりを述べて、飽くなき欲望に身も心も焦がしている今の日本人よりは、よほど充実した人生を送っているように思われたのでした。

 お互いに自分自身の足元を見つめて、「足るを知る」という心を養いたいものです。

山本文匡