よくあるご質問

宗旨について

  • お釈迦様は、悟りを開かれたそうですが、「悟り」とは何ですか?

    お釈迦様は、「生老病死」の命題に悩み、出家した後、初めは苦行を修しました。やがて、この6年(または7年)間の苦行では道は開けないとして、12月1日から一週間、深い禅定に入られました。そして、12月8日に、暁の空に光る明星を見て「山川草木悉皆成仏」などの言葉を発せられ、悟りを開かれたとされています。
    自分と他が一つ、「自他不二」という境地からこの世を見たとき、今、この地球や宇宙は皆自分の家であり、その中の生きとし生けるものは皆自分の家族である、という大いなる慈悲心が開けるのです。
    それまでは苦行に耐え、自分を磨こう、善いことをしよう、生老病死の苦しみを超克しようという自己本位の行いがありました。
    しかし、自他不二を体得しその大いなるまなこで眺めると、この世のすべてのものは「あるがまま」なのだと「気付いた」のです。
    それがお釈迦様の悟りです。


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  • 出家の方々が毎日される修行のスケジュールの内容はどんなことなのでしょうか。(朝何時に起き、何をして一日が終わるのか)

    雲水と言われる、禅の修行僧は全国に数十箇所ある専門道場で修行しています。
    道場によって多少の違いはあります。
    朝は大体午前3時半頃に開静(かいじょう、起床のこと)、本堂での朝課(ちょうか、朝の読経)の後、禅堂での坐禅が始まります。
    坐禅の途中、雲水達は一人ずつ師家(しけ)と言われる師僧の部屋に行き、師家より与えられた公案(こうあん、禅の問題のこと)の回答を提示します。これを参禅(さんぜん)と言います。
    坐禅が終わると、粥座(しゅくざ)と言われるお粥の朝食の後、堂舎内外の掃除をします。ここまでの日程はほぼ毎日変わりがなく、掃除が終わるのは大体午前8時頃となります。
    その後は、道場によって多少の違いがありますが、末尾が1、3、6、8の日【修行道場では1、6、3、8(いち、ろく、さん、ぱち)と呼称】は托鉢へ出かけ、2、5、7、10の日【同じく2、7、5、10と呼称】は師家の提唱(ていしょう、講義のこと)が行われます。また末尾が4、9の日は四九日(しくにち)と言って、朝、二人一組で頭を剃り合います。
    道場によっては、托鉢ではなく境内の整備や畑仕事、まき割りなどの作務(さむ)を行います。このあたりは山間部の道場と市中の道場とで異なるようです。
    昼食は11時頃で、斎座(さいざ)と言われます。献立は麦飯、味噌汁、野菜の煮物など、一汁一菜と決まっています。食後、一時間程度の休息の後、夕方までは作務となります。また四九日には午後、お風呂に入ることができます。
    午後4時から本堂での晩課(ばんか)の後、薬石(やくせき)と言われる夕食となります。夕食を薬石と呼ぶのは、元々インドの仏教僧団では、午前中托鉢して得た食べ物を正午までに食べる事が定められ、午後は食事を採る事を禁止していました。しかし中国や日本の禅宗僧団では作務などの労働を行うようになった為、肉体を維持する薬として食事が許されたからであり、献立は昼の残り物となります。
    薬石が終わると、季節によって多少時間が変わりますが、夕暮れの昏鐘(こんしょう)に合わせて禅堂での坐禅が行われます。昏鐘が打ち終わると再び参禅があり、その後は午後9時の開枕(かいちん、消灯のこと)まで禅堂での坐禅です。
    開枕後は各人がそれぞれ禅堂の外に出て、思い思いの場所での坐禅、夜坐(やざ)が行われます。夜坐は「何時まで」と決められた時間がありませんが、大体実際に床に就くのは午後11時頃となります。
    通常の生活は以上のような日程ですが、年に6回ある大摂心(おおぜっしん)の期間は異なります。大摂心とは、一週間にわたって行われる坐禅修行強化期間のことで、この期間中は作務や托鉢は行わず、毎日師家の提唱がある以外は、一日中ひたすら坐禅を行います。参禅も一日に3〜5回行われ、雲水達にとっては厳しい修行期間となります。中でも、お釈迦様がお悟りを開かれた故事にもとづき、12月1日から8日早朝にかけて行われる臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)は特に厳しく、開枕の時間が深夜12時となるほか、一週間横になることは許されません。


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  • 禅宗でも曹洞宗と臨済宗とは、どう違うのですか?

    我が国には、鎌倉時代に栄西禅師(えいさいぜんじ、1141〜1215)によって臨済宗が、道元禅師に(どうげんぜんじ、1200〜1253)よって曹洞宗が伝えられました。
    臨済宗は看話禅(かんなぜん)と言われ、古の禅僧達の逸話を公案(こうあん)という、いわゆる禅問答の問題として採りあげ、「大疑無くんば、大悟無し」の立場から、自己に対する疑問によって自心を深め、悟りを求めていきます。
    それに対して曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ、「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から、ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きますが、根本的宗旨に違いはありません。


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  • 臨済宗と曹洞宗では修行のやり方は異なりますか。(看話禅と黙照禅と言った教義でなく、単なる修行方法の差異)

    曹洞宗も修行生活の根本的部分で、大きく異なる事はありません。
    多少、細かい点では違いもあるようですが、詳細は曹洞宗の修行方法の詳細については、関係ホームページをご覧下さい。


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