行事案内

瓢鮎図~瓢箪でナマズを捕まえる方法

hyonenzu-b.jpeg
 妙心寺塔頭・退蔵院の目玉で国宝に指定されている『瓢鮎図(ひょうねんず)』。この絵は山水画の始祖といわれている如拙*1)が、足利義持の命により心血注いで描き、現存する彼の作品の中で最高傑作といわれています。
 「ただでさえ捕まえにくいなまずを、こともあろうに瓢箪で捕まえようとする。」この矛盾をどう解決するか、将軍義持は当時の京都五山の禅僧31人に参詩を書かせました。高僧連が頭をひねって回答を連ねた様子は正に壮観です。そのいくつかを紹介しましょう。
 『瓢箪で鮎を押さえつけるとは、なかなかうまいやり方だ。もっとうまくやろうなら、瓢箪に油をぬっておくがよい』(周宗)
 『瓢箪でおさえた鮎でもって、吸い物を作ろう。ご飯がなけりゃ、砂でもすくって炊こうではないか。』(梵芳)
 この瓢鮎図は、退蔵院に伝えられる宝物のうちで一番重要な物で、室町時代の漢画の代表的名品として知られています。さて、本図は題詞にも記されているように、円滑の瓢箪をもって無鱗多涎の鮎魚を押さえ捕らえうるかどうかという禅特有の意味深長な公案を画因とする禅機画です。ここに「鮎」とあるのは「なまず」のことで、普通「なまず」は「鯰」という字を書きますが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されています。
*1)如拙
如拙は室町時代の禅僧でしたが、宋元画を学び日本の水墨画を開拓した先駆者で雪舟も如拙をわが師と呼んで私淑したと言われています。瓢鮎図は如拙が足利義持の命を受けて描いた禅画でもあります。
(退蔵院ホームページより転載しました)

 さてさて、難しい禅問答はともかく・・・。あなたならこの「瓢鮎図」にどう答えますか?

hyonenzu01.gif

九州国立博物館「妙心寺展」での皆様のお答え


名古屋市博物館「妙心寺展」での皆様のお答え


京都国立博物館「妙心寺展」、芳澤勝弘師による講演会(於:花園大学)、微笑会での皆様のお答え


kyusyu-myoshinjiten.gif

九州国立博物館「妙心寺展」において配布させて頂いた上記の問いに対する皆様方のお答えです。

1.山本 廣明(福岡県久留米市)
 この絵は、瓢箪の中に入っている酒をナマズに飲ませて、瓢箪のまん中の細くなっている部分で、押さえて捕らえようとしているように見えます。さらに興味深いのは、捕らえようとしているのが、人物ではなく動物の化身のような顔に見えることです。

2.仲松 慶(佐賀県佐賀市)
 ナマズは瓢箪の中にうまく入って、つかまえることが出来るかもしれません。まぁそれは「瓢箪から鯰」いえ、「瓢箪から駒」でしょうけれども。

3.安徳 憲爾(佐賀県佐賀市)
 「捕まえよ」と言われれば、知恵をだして捕まえるであろう。しかし、捕まえることが出来てもそれで幸せになることとは別。捕まえないことで幸せになる道があるかも知れない。欲はほどほどに。

4.佐々木 誓一(熊本県八代市)
 どうぞよろしく御願い申し上げ奉ります。「何も思わん心が何も思わん心をつかまえようとする。」不安、妄念を取り除かず、安心正念を求めず此れ等はあるがままに。新春にあたり仏法を深謝し本山の御万福を祈念申し上げ奉ります。

5.田中 睦(福岡県うきは市)
 まず、瓢箪の中にお湯を入れて温めます。次に栓をして、鯰のいる川(池)に沈めます。やがて、温められた水に誘われ、鯰は己の体型によく似た瓢箪にぴたりと寄り添ったところを、そっと手で掬い上げます。(瓢箪と一緒に掬えば、鯰は逃げようとしないでしょう。)

6.久場 千津子(長崎県大村市)
 ナマズの瞳をジッとみつめて、心をつかむ。

7.宗田 彰(佐賀県佐賀市)
 本物はどっちだ(真実をつかめ)拙水。「ひょうたん」は「ナマズ」頭が太い「ナマズ」を「ハチ」という「ハチ」の隠語は「ひょうたん」である。

8.稲生 峰陽(福岡県直方市)
 簡単すぎる。瓢箪で水を全部すくって、かき出せばいいだけのこと。何年かかっていい。ナマズが身動き出来なくなればそれで目標が達成される。

9.鵜島 桐(福岡県福岡市)
 公案にとらわれず、目的にかなった道具、手段を選びなさい、という意。




このページの先頭へ

hyonenzu02.gif


名古屋市博物館「妙心寺展」において配布させて頂いた上記の問いに対する皆様方のお答えです。

1.鬼頭 守義(名古屋市)
 ナマズのきらう(こころとぬるぬるという性質の異なる)もので、しかもナマズを拘束するようなことを、しようとすれば彼は、更にきらって、そうはならじとするは当然。仏修行者が「同事」に反することをしてはならない。
そこで彼を瓢箪でつかまえる方法は、瓢箪に彼が現に住している水を満杯に入れて沈め、浮いてこないように石等で重りをして、しばらくそのままにして待てば、彼は安住の場をみつけたりと瓢箪の中に入る(瓢箪の中に岩には付着した水苔等エサを少々入れればなお良し)。それを引揚げれば容易につかまる。彼が大きい場合は瓢箪の上部を少し切り、入口を大きくする。
(つかまえた後はただちに放つべし、ゆめゆめ彼を食す不可!!)

2.栗本 清勝(名古屋市)
 ひょうたんの把持方法、なまずの捕らえ方(頭から尾から...)結果はともかく創意工夫してやってみよう。その努力、苦労等を日々の生活に生かそう。それが英知である。そして、よく考えて生きよう。

3.丹羽 早苗(名古屋市)
 鮎さん、瓢箪を塒にどうぞとさしだす。そして入ったところを捕まえる。そうすれば心は、それぞれ得たいものを、得られる。

4.中嶋 靖(名古屋市)
 瓜を鮎にあたえ、鮎の心を捕らえる。「瓜を小間切れにして(説教)鮎に与え、捕らえどころのない(多種多様)民衆をこの手に」

5.岸 紘男(名古屋市)
 瓢箪を湖沼に浮かべ、ナマズの上におけばナマズは見えなくなりつかまえることに同じと思える。目先のことに注視すれば、その先を見る為には経験と想像力しかない。

6.景山 高司(名古屋市)
私は2通りの解釈をしてみました。
①まずひょううたんの中になまずの好物を入れます。ひょうたんの口から好物を少しずつ出していくと、なまずは近づいてくるはずです。何度かくり返せば、なまずの警戒心が薄れてくるので、最後には手づかみ(?)でつかまえられると思います。
②なまずをつかまえるなら網を使えば良いのに、世見の人(私も)は、とかく正しい方法を用いないでおいて、よい結果ばかり早く得しようとし「無駄な努力を重ねているものだ」ということを表している様にも思えます。

7.山本 眞一朗(長野市)
 一種の文芸の遊びのようにも思われますが、義持は善政をひこうと思うが一部に理解されない民衆がいる。それらに納得される手はないかと心情を問うためだと思います。つるつるしたものでつるつるしたものを捕まえる事はできない事は判った上で自分の考え善政に対する回答を問うたものと思考する。

8.宮地 淑子(名古屋市)
 日常の生活で当たり前のことを自然に当たり前にすることが禅だと教えられると思ひますので、なまずをつかまえるといふ困難なことにとらわれて日常の生活をおろそかにしないのが一つと思ひます。

9.田口 勝信(豊明市)
 瓢箪の凹んだところで鮎の頭を抑えたら捕まえられると思います。精神を統一をして無我の境地に達すれば、動くものも止まって観る時がある。その時に押さえる。

10.宮地 満(名古屋市)
 まあゆっくりと水泥の枯るゝを待てば宣し

11.福島 ユリ子(名古屋市)
 瓢箪を友として塒となるのを待つ

12.清 公一(名古屋市)
 とうてい不可なることであり、人の生も同じ。しかしその不可なることを求めて止まらないのも人生。

13.陶山 和夫(瀬戸市)
 「こころの瓢箪でぬるぬるのナマズをつかまてみよ。」
回答1何日かナマズのそばで過ごし、ナマズの寝床をつきとめて、夜ナマズが寝ているところを瓢箪でおさえつけてつかまえる。
回答2ナマズの近くに石ころを瓢箪で捕まえる。黒くぬるぬるした生き物がナマズだと決めつけるのは、まちがいであり、石ころをナマズだと命令する。
回答3ナマズがエサを食べようとするのをひたすら何時間も邪魔し続ける。すると、ナマズはお腹をすかせて、しだいに動けなくなった所を捕まえる。
回答4ナマズの目の前で瓢箪を持って躍りを躍る。ナマズが一瞬でもこちらに気を取られたなら、ナマズの心を一瞬捕らえた事になる。
回答5「この絵からナマズを出して見よ。そうしたらいつでも瓢箪で捕まえてみせようぞ」と言う。
回答6ナマズの周囲の草という草、魚、草をすべてとりつくして、ナマズを孤独な状態にする。すると、さびしくて瓢箪で水面を打つとナマズの方から寄ってきて捕らえられるかもしれない。
回答7ナマズにエサを与えまくる。するとナマズはエサを食べぎて動けなくなるので、そこで瓢箪でおさえつければ良い。
回答8何年も何年も待つ。そしてナマズが死を迎える頃、瓢箪で弱ったナマズを捕らえる。
回答9家に帰って昼寝する。夢の中で瓢箪でナマズを捕らえれば良い。
回答10ナマズのいる場所が池なら、何日もかけて、瓢箪で池の水をくみ出す。そのうち、池の底が見えてくる頃にはナマズもかんたんに捕らえられる。
回答11ナマズを捕らえる本質は捕らえる事そのものより、そこで得られる達成感であるとするなら、何時間も何日もナマズを瓢箪で捕らえようと努力し続けたなら、例え捕らえられなかったとしても、自分は全力の限りをつくしたという達成感が捕まえる事以上に得られるだろう。
回答12...結局ナマズを捕らえようとして、この問題に自分が捕らえられた事を悟った。

14.田中 一明(名古屋市)
 11月13日正眼寺山川師の講演拝聴致しました。不特定多数の有象無象を集めての法話、対象の的を絞れずにご苦労なさったことと推移できます。山川老師の話しぶりからは、そのご苦心の程が覗い察しられました。その無責任な聴衆のひとりとして、実は、(それだけに)、聴く耳もまた難しかったと云えなくもありません。まさに瓢箪で鯰を捕らえようとするが如き感がしました。十数年前、妙心寺へ詣でた折、色紙判の「瓢鯰図」を買い求め、以来ずっと額に入れ玄関脇に飾っております。毎日、それを眺めております。正直なところ「瓢鯰図」ってオレみたいやなー。「己事究明」って難しいですね。

15.谷 ひさ子(桑名市)
 瓢箪の口をなまずがやっと入れる位の大きく切り、なまずの位相な水中に入れ底につけて一昼夜置き引き上げてみる。そして、中になまずが居ればそれを捕まえる。いなければそれはそれ自然の摂理として受け入れる。

16.浅井 経子(名古屋市)
 絵の男の人瓢箪ででなければ鮎を捕まえれるだろう。だが止められない。イノシシか狸か、いや仲間の村人が近づいたのに気がつけば手を止める。禅の修行で御坊様が、厳しい禅の棒でたたかれて我にかえる瞬間と同じで無に戻ること。私たちの日常生活でも同じで脇道にそれても再び、無になって、主根から伸びた爾今の道を歩んで行くことだとおもいました。

17.畑中 和代(名古屋市)
 瓢箪を川底に石と砂とで固定しておく。瓢箪の中にはなまずの好きな「えさ」を入れておく。えさにつられて「なまず」が瓢箪に入るのではないか?

18.益田 靖夫(岐阜県・池田町)
 瓢箪を二ッ割にしてはさみ取れ!!。註:物は考えよう。発想の転換をはかれ。

19.林 佳廣(各務原市)
 瓢箪の中に小さい鮎を入れ鮎が入ってくるのをまつそれを無心で待つ。

20.会田 和一(愛知県・扶桑町)
 瓢鮎図の意図する処は、「禅の心」とは何かを問うものと推察いたします。つまりぬるぬるするなまずは執着する心を指し、口の小さなひょうたんは到達するのに厳しい悟りの世界を指すもので、執着する心(なまず)が小さくなる程悟りの境地(ひょうたん)に近づくことができることを示していると思います。現実的には、なまずをダイエットさせることによって、いつかひょうたんの中に捕まえることができるかも知れません。

21.村田 加代子(三重県・多気町)
 所詮物事には、相性というものがあって、うまくいかない時があります。でも一度やってみようと、やれるだけやってみようと挑戦する心が大切です。

22.中山 幸三(稲沢市)
 ひょうたんの中の水を鮎の泳ぐ川に垂らす事により水を通して、器の中と外との一体感を持たせ、形の在るひょうたんの中に住んでいたものが水と共に流出して、外気の中で自由に泳いでいると考える。器の中にいても外に居ても鮎は鮎、"とらえた〟"のがした〟は見る者の心である。

23.西村 和子(名古屋市)
 初日の出を待つ様な気持ちで暗くなるのを待って、静かに寝ている"なまず〟の所へそっと瓢箪を入れる。寝耳に水でびっくりして瓢箪にしがみついて来ると思う。"忍耐と忍從の勝負です〟

24.伊藤 俊彦(浜松市)
 壁に向かって九年難し事も初めから諦めず、辛抱して頑張る。その先には結果がついて来る・・・

25.村子(名古屋市)
 ころころもぬるぬるも形容詞。つまり瓢箪でナマズをつかまえると考えると、出来ない。はいりそうだけど、全然次元が違うと思う。



このページの先頭へ


hyonenzu03.gif


京都・妙心寺展及び、芳澤勝弘師による講演会(於:花園大学)、微笑会において配布させて頂いた上記の問いに対する皆様方のお答えです。

(名古屋・九州の妙心寺展でも募集予定)


(順不同・敬称略)

1.八木佐喜子(京都市)
 瓢箪を縦二つに割り、おしりの太い方でナマズの頭部をはさんでは如何でしょう。

2.森 勇雄(京都市)
 表と裏とがあり二方の見方だけではダメで、広い視野で物事を見るべきあると思っております。

3.毛利陽子(京都市)
 水の中へザブン!

4.清水一雄(京都市)
 瓢鮎一緒に網で捕る。(捕った鮎を瓢に入れれば済む)

5.山下陽子(京都市)
 ナマズの長いひげを結んで、瓢箪の細く窪んでいる所にひっかける

6.星山政彦(京都市)
 ナマズが瓢箪の中に入るまで待つが、仏教の無の世界の話しだと思う。自然の行状の教義だと思う。急がば廻れとよく似た事。

7.藤井幹明(京都市)
 瓢箪にミミズを入れ、これを餌にナマズを釣るべし。

8.松井基祐(京田辺市)
 真面目な答えですが、瓢箪を縦に二つ割に切って、それでナマズを捕まえる。簡単なことです。

9.大山高司(京都市)
 いたわり。

10.畠 孝久(京都市)

11.肥川 進(宇治市)
 とらえずに静かに心で見守ってみよ。

12.宮地宏至(京都市)
 瓢箪のような丸い思考力や心理があってこそ、ナマズのような困難なものも捕まえることができます。人間、カリカリしていては人生の好転機ものがしてしまいます。

13.横山 善夫(京都市)
 つるつる、ぬるぬる捕まえられることがありえない。「無」しかしナマズが瓢箪に入ったら・・・夢のような願望。

14.上谷重男(神戸市)
 男と女の関係は瓢箪とナマズのようなもの。捕まえたかと思うとするりと逃げる。まさに理解を超えた関係。

15.田中由佳里(京都市)
 瓢箪をくり抜いて川に置き、ナマズが入るのを待つ。困難なことにトライすることを奨励しているのではないか。

16.西岡淳雄(京都市)
 捕まえることが結論ではない。どのようにすれば捕まえられるか考え抜くこと。すべての日常のことによく考えて実行していくことを教えているのであって答えを見つける必要はないと思う。それが民衆禅というものである。

17.西岡千世子(京都市)
 答えは簡単。瓢箪を二つに割って(縦割り)、それでナマズをおさえて捕まえればよし。

18.堀之内秀委(草津市)
 物事は、あまりこだわらず自然体でのぞむのが良い。つかまえればそれで「よし」とします。

19.中嶋 弘(京都市)
 食べてあげたいので、上までおいでなさい。お互いに最高の最後を・・・。

20.高橋広大(京都市)
 花園大学でみつける。

21.宮林太郎(京都市)
 あえて捕まえず、ひたすら考えることに何か意味があるのではないだろうか。いずれナマズから近寄ってくる。

22.矢田佐智(京都市)
 瓢箪を縦に二つに割り、その平らなところでおさえる。

23.内田まや(京都市)
 捕まえるのはかわいそうなので、捕まえないです。師匠に怒られることにします。

24.無記名
 ツルツルの心を捨てぬるぬるのナマズに近寄って仲良くする。クールな智恵と熱い心を持ってしたいと思う。ナマズに水引をかけると水が引くと教わり有り難いと思いました。

25.岡本光子(京都市)
 瓢箪を切るなり割るなりして、柄杓のようにしてナマズを捕まえる。

26.谷口哲雄(京都市)
 瓢箪の中に酒を入れナマズに呑ませ、酔ったところを捕らえる。

27.太田ひとみ(亀岡市)
 ナマズの好きなモノを瓢箪に入れてちらりと見せておびき寄せ、油断したところを捕まえる。

28.辻 光明(京都市)
 人間が真実を求めることは、ぬるぬるしたナマズを入り口のすぼまった瓢箪で捕まえようとすることに等しく、禅にとって永遠のテーマである。時代を現代に置き換えれば、人類にはびこる差別、暴力、欲望を克服して地球における真の平和を築こうと努力することであり、これが今、禅にとって永遠のテーマではないだろうか。

29.森 宏(京都市)
 この図はナマズを捕ろうとしているのではない。通りかかった池の中に浮かび上がったナマズと目が合い、その髭に友人の面影  を感じた。それは先日大酒を酌み交わしその帰途に酔っぱらって池に落ち命を落とした友人を思い起こし、瓢箪に酒を入れ改めて供養に酒を注ぐところである。ではないかと・・・?

30.木村美代子(亀岡市)
 ころころの瓢箪は則ち液体容器(酒入れ)とし、瓢箪には悪酒(汚染米)、又は麻酔薬(大麻・ヘロイン)を入れ、開栓のまま投げ入れナマズを泥酔又は麻痺させて捕獲する。現代の世の中、1052(永承7)年に酷似しており、人心は真に悪酒や麻薬に冒されている。

31.三和友子(京都市)
 瓢箪の中にお酒を入れ、ナマズに呑ませ(口を開けた時に注ぐ)、酔っ払って寝たところを素手でつかむ。

32.上林敦美(京都市)
 瓢箪をヘチマにすればナマズもよし。瓢箪の乾皮は昔入浴時のアカスリでした。

33.山本正治(吹田市)
 竹の生育をみると何と異様な形をしていることか。風で撓んでいるでもなし。霊的な仙境なのか。鮎は魚以上の能力を待っているのだろうか。底に溜まっている酒を瓢箪から滴々と水面に垂らす。何ともいえぬ香りと味に鮎は虜となる。しばらくすると程よく仕上がり(酔い)漂揺す。それを見計らって瓢箪を水面に落とす。鮎は芳香のする小穴めがけて食らいつく。ころころの瓢箪は難なく中程の括れまで鮎の口に吸い込まれた。半分まで飲み込めたものの、開けるにも閉じるにも口は全く動かず。振り放すとしても外れるはずがありません。慌てて潜ろうとするが瓢箪の軽さに加え、中空のそれは、大きな浮きとなり、どんなに力んでも潜ることができません。水面をもがいているうちに掬い上げられてしまった。

34.木村太一(亀岡市)
 瓢箪の蔓部に(約3㎝)、底部に(約6㎝)、程度の孔をあけ、内部の種を出す。次に瓢箪の括れを利用して2本の藤蔓か細縄を準備し1本を天蚕糸とし、もう1本を錘(小石等)として縛り水中に沈めて鯰が頭部を突っ込んだところを引き揚げる(注:瓢箪はある程度乾燥させ固くすると良い)。即ち心の腹蔵を捨て、相手が懐に入って来るのを待つ。

35.山中 熙(京都市)
 瓢箪のごとく生きて米寿なり ナマズの余生短歌一筋に
 人生は皆生まれて後はことわざの 瓢箪鯰となりて死にゆく
 世の中をなんの瓢箪と思えども ぶらりとしては暮らされもせず

36.上林敦美(京都市)
 こだわりを はなつはなぞの みょうしんじ
 なまずのおもい ひょうたんをうつ

37.長谷川純子(京都市)
 瓢箪を縦半分に割り、二つでナマズを挟む。

38.松山賢一(吹田市)
 瓢箪で頭に浮かぶのは、孫悟空(西遊記)の金角・銀角を瓢箪の中に吸い込む場面や、張杲(東遊記)が瓢箪から馬を自由に出し入れするのが思い出されます。しかし、この瓢鮎図を見ていますと、まず不可能と思われることも、頭の中で考えて何もしないのではなくて、何か行動をしなさい、すれば道が開かれると感じました。

39.本告一弘(草津市)
 ナマズは隠れ場所を好む性質がある為、瓢箪の口をナマズが入る大きさに切断し、水中に沈めておく。その際、瓢箪を引き上げやすいように、口部分にヒモを結びつけておく。後日、水中に沈めておいた瓢箪を引き上げナマズが入っていれば、捕まえることができる。

40.国富昭子(京都市)
 ナマズの習性は穴の中に入ると言われる。それで瓢箪の口の上の方を少し切って、ナマズのいる池の中に沈めておくと必ず瓢箪の中に入り捕まえる事が出来る(瓢箪の中にエサを入れておく)。

41.赤松秀夫(神戸市)
 瓢箪でナマズを捕まえることは全く不可能である。不可能なことを企てたり、無駄な努力は止めたがよい。愚かなことを企画するなという警世の句であろう。

42.河野文彬(京都市)
 ころころの瓢箪を流水に浮かべ、ぬるぬるのナマズが近づくのを待ち、心の中で「つかまえてやった」と渇。

43.大山高司(京都市)
 捨欲
一心一会
一期一会

44.松井基祐(京田辺市)
 つかみどころのない「こころ」女こころをつかむのは、お金を一杯瓢箪につめてやるか、それとも男のりりしい生きざまを見せ  るのが良いか、しかし、今さらりりしい生きざまを示すには年をとりすぎたし、お金もなし。

45.中村昭子(向日市)
 瓢箪の底を「くり抜き」細い口の方に好物をつめれば水面に沈める。

46.坪内英夫(京都市)
 瓢箪の中にナマズの好むエサと少し眠ってもらう効きの良いお薬を入れておき、これを振って与えゆっくりしている間に両手でナマズをすくい上げるのはどうだろう。

47.工藤一郎(京都市)
 ナマズどんナマズどん、逃げれば逃げよ。はようはよう。瓢箪に入ればそれもよろしかろ。われは宇宙の瓢箪に、しばし入らむ。やすみなむ。

48.篠崎友美(花園大学)
 ナマズが子供の頃(瓢箪の口より小さい頃)に、瓢箪の中にエサを入れて、自ら入り込ませる。(如拙の絵に惑わされてはならない!目の前の姿にこだわるナ!問いはナマズを捕まえよ!であって大きさは書いていない)
 教訓:チャンスは早くつかめ、遅くなったら捕まえられない。
 又、合理的に答えを求めるという事になるが、合理的な論理性を求めない超越する心の解放を求める禅の世界にあっては正解になりえないか・・・。

49.北政十郎(川西市)
 瓢箪でも鮎でも人の心はつかめるものではない人生死ぬまでの課題だと思います。

50.山下陽子(京都市)
 カメラで写す。

51.福井則夫(京都市)
 無駄な考え、行動をするな。今自分のまえにあるテーマに専念すること。

52.宝木光子(京都市)
 心ここにあらず、ひと休みしてみよ。

53.野村栄子(京都市)
 人は上からおさえてもおさえきれるものでない。ノラリクラリと逃げてゆく。一人一人が異なる。

54.太田 稔(豊能町)
 自分の心をしっかりとらえること。


55.佐野敏男(京都市)
 ①ぬるぬるから濡れた状態では駄目で、池の水を除去し乾燥させて捕まえる。
 ②ぬるぬるで捕らえどころがない。つかみどころがなく解けない。
 ③いづれもとらえられない心であり正解はない。

56.太田ひとみ(亀岡市)
 何百年も後に生きる私たちの頭で考えても「???」。人の心考えは進化発達しているように思えても実は変わっていないのではと思いました。

57.清水谷善海(京都市)
 答えを求めてはいけないことを絵に描きあらわしたもの。

58.山口和次(京都市)
 瓢箪を二分の一にカットしてナマズを押さえる。

59.山内 譲(京都市)
 瓢箪の最も大きい部分を折るか割ってそこにナマズの頭を入れて水中より地上に上げる。胸襟を開き相手の懐に飛び込み捕まえる。

60.湯ノ口敏男(大津市)
 自分の力量では不可能とわかっていてもやり遂げようとする過程が大切である。

61.河村元泰(京都市)
 瓢箪を池の中に投げ捨てる。もしかしてナマズがそれを住居にしてくれたら、その時がナマズを捕まえた時である。

62.水野二郎(高槻市)
 実は紅瓢箪でナマズを捕まえるところ。中国皇帝がナマズを食したいことを聞きつけた役人が、下男に奥沼に住むナマズを捕まえることを命じ、手間賃三両を渡した。この下男はかなりのグータラの上にせこい。何とか楽して且つ金を使わずにナマズを手に入れることがえきないか思案していたところ、行商人の足元に瓢箪があり説明をもとめた。あの孫悟空が使用した紅瓢箪だと言う。下男が瓢箪の蓋を開け、「オイ、行商人!」と呼べば、行商人が「何だ!」と言ったとたん瓢箪に吸い込まれてしまった。本物の紅瓢箪を手にした下男は、これを使用してナマズを捕まえようと奥沼へ行く。下男は「オイ、ナマズ!」と呼ぶが、ナマズは反応しない。ナマズは人間の言葉が理解できるはずがない。何度か呼ぶうちにナマズが沼から飛び跳ね、再び沼へ戻る時、水がはねて「チャン!」という音がした。思わす下男は「何だ!」と叫んでしまい、紅瓢箪へ吸い込まれた。紅瓢箪はそのまま沼へ落ち底に沈んだ。これ以降この瓢箪をさわることも見る者もいない。努力せず、楽して金儲け、出世を望んでも碌なことがないたとえ。又、相手よりも有力な武器や事柄を手に入れたとしても、使用例を誤ると自分に災いを招くこととなる。

63.物部たみ子(京都市)
 ハイ、では靴下を脱ぎ水の中に入ってみましょう。あれこれ考える前に、まずやってみます。それから捕まえる方法を探します。

64.尾河加都美(京都市)
 不謹慎ですが、往年の朝丸風。瓢箪にジェルを塗りますナー。ナマズのそばに浮かべますナー。ナマズは思います。色白のナイスバディー、君ちょっと待ってーナー。色々な事柄に揺らぎながら迷いの多い日々です。

65.毛利陽子(京都市)
 瓢箪の中に心で入ってみて、明るく照らしたとき、外の瓢箪もナマズもつかまえている。

66.篠崎友実(花園大学)
 延縄式仕掛けによりナマズを釣る。

67.萩原志貴子(京都市)
 我が家のナマズは常に筒の中にいて、エサを与えたら出て食べて、又ずっとつつの中に入る。瓢箪がナマズにとって隠れ家で安全な場所だと感じさせると、ほっといてもナマズから入って来ると思います。まず、川をせき止め(水は流れるように)瓢箪を入れてエサの小魚もいれておく。小魚のエサを捕るのに身を隠さなくてはならないので隠れ家になる。瓢箪にナマズ自ら入ります。捕まえるのではなくナマズが瓢箪に入りたくなるような状況にする。北風と太陽の話しみたいに。

68.山本恵子(高槻市)
 瓢箪の中には、水か酒が入っているのでしょうか。(先ず中を空にして)川に浮かし、なまずが瓢箪のカーブ(くぼみ)にからまった時まで、じっと待ちおの時に...すっと川から引き上げる。

70.斉藤一三(京都市)
 拝啓一七、一八の講演有難うございました。感謝しております。瓢鮎図のお話をお聞きした時「四弘誓願」を直感しました。国会における議員の答弁の「記憶にない」「想定外」等等のように、水中のナマズが瓢箪を見て全身粘液を出し、一時逃れようとする。煩悩は無尽です。禅はこれを断ち切ろうとして瓢箪(法)を掲げます。煩悩を断絶する法門は無量であって、而も難解である。よって永遠に学問をし続けなければならないのです。しかし人には心がある。お釈迦様の経文と禅の実践修行の仏道は無上であって、成就することは困難であっても、一歩でも前進成就へ道を歩まなければならない。世の中の浄化はこれより他に道はありません。最後に悩み迷える無辺の衆生を得度させられる事を願うものです。

71.加賀美佳子(京都市)
 良いお話を聞かせて頂き有難うございました。私も国宝の瓢鮎図の様に瓢を両手で浮かびあがらぬ様に押さえて心静かに、鮎が瓢お中に入ればと念じております。「覓心不可得」自分の心なのにコントロールするのがむつかしいです。

72.尾河美枝子(京都市)
 我が家の柱にぶら下がっております瓢箪は、少しかたぶいております。それを見ながら思いました。曲がった瓢箪のくびれにつたかずらの様なもので、くびれをくくってナマズの昼眠どきをおさえこんではどうかしら。そもさん・せっぱと程遠いお話し。充実した三日間を有難うございました。

73.出岡次男(京都市)
 酔えや酔えひさご枕に夢の中 色即是空 空即是色
 ひょうたんが 水辺で遊んで ユーラユラナマズが見上げて今日は。

74.足立勇介(福知山市)
 静かに瓢箪をナマズの所へ流せば良い。水・瓢箪・ナマズ・私が不二であるから。

75.植田俊一(京都市)
 カボチャでウナギを捕まえようとするがごとし。

76.永井杏奈(京都市)
 瓢箪を石か何かでキズをつけて、ナマズが引っかかるようにする。

77.村松春奈(京都市)
 瓢箪にお酒を入れて、自分はお酒で酔いながら良い気分になり、良いにまかせて捕まえる。

78.森 孝子(京都市)
 瓢箪に穴をあけて鮎が自由出入りし捕まえられる。

79.菅 真代(今治市)
 ひょうたんの美酒にとらわれ うかれるナマズ

80.切石恵美子(大阪市)
 男性が思わず瓢箪を川に落としてしまった。たまたま泳いでいたナマズに当たり、怒ったナマズが投げ返した。事の成り行きにびっくりした男性が瓢箪を受け取っている。竹はすくすく上に向かって成長する。山々は平然とそびえている。当たり前の事ながら世の中というものは思い違い取り違いなかなか思い通り心通りにはいかない。本意が伝わらない。さあ一息ついて自分自身を見つめ直しましょう。あわてない、あわてない。平凡で幼稚な主婦の解釈です。

81.槇 佐知子(国分寺市)
 瓢箪を縦割りにして、両手に持ってナマズを追えば捕らえられるのでは。

82.中島昌雄(京都市)
 瓢箪に酒を入れて、ヒモで腰に付け水辺に遊山に。酔って昼寝。瓢箪は水中に酒好きのナマズ(小)が、瓢箪の中に。又は酒好きのナマズ(大)が瓢箪を飲み込む。醒めて瓢箪を取り上げると、なんとナマズが!(超大ナマズなら、自分が飲み込まれてしまうかも)何事もなければまたあした。

83.門田良信(西宮市)
 朝に「私には過ぎと女房だ!幸せにせねば」と思う自分。夕に「二度と顔も見たくない!もう離婚しかない」と思う自分。揺れ泳ぐ自分を"妙だなあ"ちみているのも又自分。

84.谷口弘子(京都市)
 あわてない、あわてない!瓢箪を持つ人物の右手の指に注目しました。三本描かれ人差し指は半分、親指は陰になっています。瓢箪には見えない側に鮎の頭くらいの穴を開けていて、親指と人差し指でつまむように(穴の端を)持っている図です。左手をそえて水中に仕掛けようというところ。明日にはナマズ自らはいっているでしょう。

85.川島由里子(京都市)
 何故つかまえる必要があるの?ナマズは自然のまま水の中に居てもらいましょう。

86.林 薫(京都市)
 瓢箪にヒモを付け中にエサを入れて、池に投げ入れよ。ナマズは自然と中に入る。道具・手段を考えよの暗示

87.山本寛一(京都市)
 自然そのものが心。中でも最も捉えがたいナマズを持ってもいない瓢箪で押さえることはできない。瓢箪を器、体とすれば瓢箪自身が空虚だと自覚すれば形の無い心(ナマズ)ならば瓢箪の中に自ずと把える。

88.笹山忠則(京都市)
 これなまず。ひさごに化けてなんとしよ。ナマズはナマズ、ひさごはひさご。
 やれひさご。ナマズのばけてなんとしよ。ひさごはひさご、なまずはなまず。

89.尾河加都美(京都市)
 いくつかの瓢箪を連ねナマズを囲い込む。ナマズを捕まえることに限りなく近づくが捕まえるのではないですね。多くの情報にあふれる毎日に見えなくなったそんな日常・・・。

90.岡本正晴(京都市)
 ころころの扱いにくい瓢箪で、ぬうぬるのつかみにくいナマズを捕らえることは真に難しい。あたかも、たえず揺れ動き定まらない人のこころをとらえることが四難の技である如し。この難提を抽象的に描いたものと見る。

91.中村栄之(長岡京市)
 人生とりとめなし、然れども人生自ずから切り開くところにその意義あり。且また人間一人のみでは生きることあたわず。他の人・自然への思いやり、佛の慈しみの中でこそ、生きとし生けるものなり。

92.渡辺ミチ子(京都市)
 惜春や蝶か蜂かと首打たれ おぞましくノアの箱船通りけり 火葬より甦る夢の鯉幟

93.無記名
 「自らもぬうぬるになる」すなわち、相手の目線に合わず、自分の物差しで人を計ってはならないということです。
 ※おにぎりを食しながら、お茶のかわりにパック入りカルピスを飲む新入社員に教えられました。

94.奥村一男(京都市)
 1.この図は「ナマズ」のつかみ方を瓢箪で教えているのである。「ナマズ」をつかむものでないと想像する。
 2.この図は「ナマズ」となっているが実は「ウナギ」のつもりで書いているのであり、瓢箪でつかみ方を教えているのであると思う。

95.門田良信(西宮市)
 むこうのぬるぬるには、よく気がつく・・・が、こっちのころころには全く気がつかない。こっちのころころを棚に上げておいて、むこうのぬるぬるを"なんとかしよう"と企む。ころころに手をつけずに、ぬるぬるはなんともならん。
 ころころを捨てて、着ているものもみな脱いで、ザブンと河に飛び込んで素手でぬるぬるをつかむしかあるまいで!!

96.毛利陽子(京都市)
 実は三回捕まえました。一回、日本史の教科書にて。二回、博物館、常設展にて。三回、博物館特別展にて。
 ころころではなくこころで労なく捕まえてございます。

97.瀬尾定夫(福山市)
 瓢箪もナマズも総てを意中に入れる事により部分的にはことなれど大きな心で物を見るべきと思います。

98.久須剛昭(兵庫県赤穂市)
 ナマズに向かってひょうひょうと念仏を唱えると望みが叶う。"ナマズは鯰であるので"。

99.東山勝行(浜松市)
 酒を飲んでいた僧の持つ瓢箪には、未だ酒が残っていました。眼前へ悠々と現れたナマズを見て僧は何とか捕獲しようと図るも、酔った僧にはヌルヌルのナマズを捕ることはできず。僧はナマズに酒の美味と酔いの艶麗な世界のあることを説明。大切に残していた酒を川に注ぐと、ナマズは躊躇するも、今しがた聞いた見知らぬ世界を思って川面の酒を口にしました。結果、ナマズは瓢箪に吸い込まれてしまいました。高知県ではウナギを酒に入れて酔ったところをつかまえて料理する習慣があります。

100.吉田善次郎(向日市)
 自然のものは瓢箪でも植物でも、御仏の御手である。瓢箪もナマズも同様である。捕まえようとする人が御仏を信じ、御仏の心にかなうならば、捕まえようとする器と、捕まえられる物も、御仏のもとに一体となるから、思いが成就する。

101.長縄八郎(各務原市)
 瓢箪の中に、ナマズの好物のエサを入れて、水の中に沈めておく、そうすると中へ入ります。

102.金子サワエ(福山市)
 今、ナマズを見たことは、生かされているもので捕らえなくても、生かしておけばよい。何も無理して捕まえて苦しめなくてよい。万物総ていつかは終わる。大きな気持ちで生きるように心がける。

103.中山隆弘(京都市)
 瓢箪にナマズを克明に描き、その生き写しの姿に魂を吹き込んでやろう。

104.無記名
 「瓢箪でナマズを押さえる」とはぬらりくらりと要領を得ない物事の表現に用いられています。又常識的には不可能と思われる事象を表すものとされているようです。更に、これを命ずる方も、試みる方も一種の"格調の高さを具えたアホウ行為"と見做され、複雑な嗤いの対象とされるようです。
 翻って、ナマズを捕らえる(押さえる)瓢箪を、他の器物を付加することなく、道具として改良するならば、ナマズを押さえ込み捕らえることも可能となるでしょう。瓢箪の胴を切り割ることにより、切断面の"角"を利用して押さえ込み捕らえることも出来るでしょう。又、ナマズよりも大型の瓢箪を切り、ナマズを潜り込ませることにより捕獲し確保することも可能でしょう。つまり、物事の本質(瓢箪とナマズそのもの)を換えなくても、僅かな工夫に拠り不可能を可能にする方途が在ると言えましょう。人の心も同様で、固定観念に囚われず、少し見方を変えるだけで、悩みも安らぎに変えられると思いたいものです。

105.田中聖子(加古川市)
 瓢箪でナマズを捕まえようとして、ナマズを見つめている私。いつのまにか私がナマズになっている。ナマズとなった私が持っているのは瓢箪。ナマズが瓢箪を持っている。

106.西山幸成(京都市)
 瓢箪にエサ(ドジョウ)又はミミズを入れて、ナマズをつかみとる。

107.橋本清高(貝塚市)
 ころころの瓢箪とは、ころころ移ろう人の心を示しておる。ぬるぬるのナマズとは、欲に立脚した姿をあらわす。従って捕まえては手を離れ、捕まえては手を離れる人間の煩悩から抜け出せない様をあらわす。

108.藤田三津枝(京都市)
 瓢箪にお酒を入れたら酔ってナマズがフニャフニャになってくるので捕まえやすくなります。人間もつかみ所のない人は、こちらが厳しくキッとした態度を見せて処していけば己のふがいなさに気づいて随うのではないでしょうか?私だったら行動でやって見せたいと思います。

109.今 隆(京都市)
 いろいろな方法があります。
 1.流をせき止め、口を広げた瓢箪で水を汲み出してナマズを捕まえる。
 2.口を広げた瓢箪にナマズの好物を入れ、ナマズが瓢箪に入ったら引き上げる。
 3.瓢箪でナマズを殴り気絶させて捕まえる。
 4.瓢箪を二つに割ってナマズを挟んで捕まえる。

110.水野政義(浜松市)
 瓢箪にナマズ這るまで、待てばよし

111.大西恒男(三田市)
 鼻水は流れるにまかす。足のしびれは足にまかす。ナマズは瓢箪の口を広げて入るにまかす。

112.河合康夫(川崎市)
 瓢箪おやじの心境
「鮎の心をつかみかね、泥沼で右往左往の瓢箪おやじ、いっそ鮎になろうかの」
「いやがる鮎をむんずとつかみ、瓢箪に入れたつもりが底抜けだ」
「泥沼を瓢箪もって追いかけりゃ、鮎に馬鹿にされるだけ」
「美味しい酒、瓢箪にあるよと持ちかけりゃ、鮎は髭で馬鹿にするだけ」

113.角田庄司(世田谷区)
 ・現在の正解の姿を的確に表現している。政権はころころ、政策はぬるぬる、全くつかみどころがない。一番大事なのは国民の自覚と主体性である。歴史はくり返されるのか、な。
 ・現在の日本の政界の様相を的確に表現している。与党も野党もころころ、ぬるぬるつかみどころがない。一番大事なのは、国民が自覚し主体性をもつことだ。

114.石坂明香(世田谷区)
 つかみどころのない絵の前で、つかみどころのない我々が、ああかこうかと右往左往。それでそのまま瓢鮎図。竹の如くしなやかに、風を受けてはまた戻る。とりあえず今日も坐りますか。

115.井手本 泰(奈良市)
 瓢箪で水を汲み出す。心の迷いの垢を流し出す。迷いの垢が取れると、鮎は昇天し竜となる。

116.田村 勝(京都市)
 浅瀬に追い込んで、ナマズの頭を瓢箪でコツン。これではなあと諦めないで考える、考える。瓢箪で駒を作りナマズを雪隠詰め、そこで頭をコツン。

117.門田良信(西宮市)
 飲み干した空の「ころころ」にはもう用はない!!身も心も水面に目をやると、えっ!なんだお前は!!こんなところにおったとは。あの「ぬるぬる」が・・・・。川の主が・・・・。

118.内田 徹(世田谷区)
 「ぬらりくらり ムダな人生 ごめんなさい」

119.西山美智子(世田谷区)
 つかみどころのないこころ。瓢箪の中にうっかり鮎が入ってしまったら中は暗くてくびれた瓢箪の底は円くてすべり鮎が中でもがけばもがくほど、外に出られない。地獄の沙汰は心なり。つかみやすい体に注意。人間も油断をすると取り返しのつかないことになる。つかみどころのない心の奥はこのようなことを意味しているのではないかと思います。

120.蕁田 徹(宇治市)
 こころは孫悟空の如意棒の如く、縮めたり伸ばしたりできる。心の瓢箪も大きくして瓢箪の大きくなった穴から、ナマズを吸い込んでナマズを捕まえてみる。

121.矢谷龍男(向日市)
 如拙の瓢鮎図を見て思いついたのは、二つの方法でした。一つは、近くに伸びた竹を竿にして糸をつけ、瓢箪を浮きにして針とエサをつけナマズを釣る方法。二つ目は、瓢箪や近くの竹で水面をたたいて、ナマズを水草(葦)の所にしかけ追い込んで、手で捕まえる方法。どちらの方法でもナマズを捕まえるのは難しい。

122.福冨和夫(大山崎町)
 ツルツルした瓢箪でヌルヌルした鯰は捕らないでしょう。心静かに瓢箪を川の水の中に置いてやると、鯰はわが住み家と思い瓢箪の中に入ってくるでしょう。そして人も鯰も共生(安心)と。

123.藤村紀明(世田谷区)
 「気がつけば鮎も人も瓢の中」

124.尾河弘順(京都市)
 ナマズはうなぎ等と同様すきまに入る習生があるらしい。瓢箪をしずめ石ころ等ナマズ好みの"うなぎ"の作っておく。気に入って頂ければ入って来るかも。

125.藤野中孚(八幡市)
 瓢箪を割る

126.岡村 大(品川区)
 瓢はコロコロし形もうねっている。鮎はヌルヌルし、クネクネと形を変える。正に人の心。そのものではないか。これは人の心というものはなかなか捕らえようがないと説いている。そして田夫子の無常(うまくいかないということ)がひしひしと伝わる図です。

127.高崎節子(京都市)
 ナマズはお酒が大好きだそうで「瓢箪」にお酒を入れて誘えば?これでは禅問答にはなってませんね。「禅の心」が通じれば「ナマズ」から寄ってくると思いますが。「瓢箪」には「ナマズ」がつきものですから。

128.黒深文彦(目黒区)
 『ひと・なまず・ひょうたん』入り乱れ。是れ、見たか妙心寺派の心意気・・・

129.高橋文彦(世田谷区)
 ころころの瓢箪に戯れる鯰が『瓢箪の中でのんびり安居禅』と一服するのでは?

130.植田耕治(目黒区)
 1.永い仙人修行の後、悟りて里に着く。先程まで竹に登った鮎を捺えていたのじゃに。竹がつるんつるんは知ってはいたがちょっと触っただけなのにスッテンコロン。もう一度捺えさせてくれー。頼む頼む、お願い-。もう一度だけで良いのでなんとかお願いー。 2.衝立障子の向こうで、どこかでお会いした三人の旅人が人・鮎・瓢、ニヤニヤ、ニヤニヤ。お茶が美味しそう。面白そうなので聞き耳を立てて見ましょう。白隠曰く儂とて小悟数知れずじゃハハハ。臨済曰く、君もか!ンハハハハ。達摩曰くウァハハハハハ。さて拾年目を続けるとするかいな。無ー無ー無ー。



このページの先頭へ