関山慧玄

関山慧玄(1277〜1360)禅師は、信州・中野の城主・高梨美濃守高家の二男としてお生まれになりました。徳治2年(1307)建長寺で大応国師(南浦紹明)のもとで修行され、慧眼(後に大燈国師より慧玄と改名)という名をつけられました。国師亡き後、京都の大徳寺を開かれた大燈国師がわが国で最もすぐれた禅僧であると聞き、急ぎ京都に旅立ち大燈国師に参じ、ついに悟りを開かれました。開山さま53歳の時です。

その後、美濃国伊深の山里で「悟後の修行」に8年間も専念されました。大燈国師が示寂されると、花園法皇は関山慧玄禅師を捜されます。はじめは固辞された関山慧玄禅師ですが、都へ上られ妙心寺の開山となられました。その後、弟子の指導に明け暮れた関山慧玄禅師は、弟子の授翁宗弼(じゅおうそうひつ)禅師を伴われて、開山堂側にある風水泉(ふうすいせん)の前で最後の法を説かれ、行脚姿で立ったまま亡くなられました。後に、明治天皇より無相大師と諡されました。