花園法皇

花園法皇は永仁5年(1297)7月25日、伏見天皇の皇子としてお生まれになり、お名前は富仁(とみひと)親王と申されました。母は顕親門院(けんしんもんいん)季子といわれました。延慶元年(1308)、わずか12歳で天皇の位につかれました。その頃、天皇は大覚寺統と持明院統が交互に皇位にのぼる(10年1期)ことが定められていた時代で、花園天皇もこれに従い文保2年(1318)22歳で退位し、大覚寺統の後醍醐天皇に譲位されました。やがて、時代は南北朝の対立へと移り、この混迷期のなかで若くして上皇となられた花園法皇は、禅の実践へと心を傾けられることになります。