妙心寺ご開山さま 六五〇年大法要

遠諱大法会とは

平成21年は妙心寺(京都市右京区花園)のご開山(初代住職)さまの650回忌にあたります。この50年毎に行われる大法要のことを"遠諱(おんき)"といい、妙心寺ではこれを機に「どう活かす わたしのいのち」をテーマとして掲げ、大法要のほかさまざまな記念事業を通じて、「いのち」の大切さを世に問いかけて参ります。
 
「請う、其の本を務めよ」(こう、そのもとをつとめよ)は、ご開山さまが弟子に遺されたお言葉です。「私のことは忘れても、私の師である大燈国師、そしてその師である大応国師のご恩を忘れたなら、私の弟子ではないぞ」と遺言されたのです。つまり「親である私のことは忘れても、祖父、曾祖父のご恩はけっして忘れるな」とこうおっしゃったのです。

授かった「いのち」はけっして自分ひとりのものでなく、ご先祖さまから綿々と受け継がれてきた大切な「いのち」であることを忘れるな、というご開山さまからのメッセージです。

昨今いじめなどによる自殺は、加熱したマスコミ報道などが原因で、負の連鎖を呼ぶなど「いのち」の大切さがことさら大きく取り上げられています。

「自分がされて嫌なことは人にはできない」とご開山さまならおっしゃることでしょう。

妙心寺では、このたびの大法要を機に、ご参加いただいた皆さんが「その本」を今いちど見つめ直していただく機会になればと願っています。


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遠諱テーマ

『自己本位』

夏目漱石は晩年『私の個人主義』と題して学生たちに向かって講演しています(大正3年<1914年>11月25日 於;学習院 輔仁会)。この講演の概要は以下の通りです。

 漱石は、東京帝国大学で英文学を専攻し、3年間猛烈に勉強しますが、英文学の何たるかが全く解らないまま卒業します。卒業後、松山中学校の先生になり、1年後熊本に移り教師を続けます。この教師時代を漱石は「まるで魚屋が菓子屋に手伝いにきたようなもの」「何か本分を発揮できるものに飛び移りたくて仕方ないが、その本分がどこにも見つからない」「袋に閉じ込められているようで、その袋を突き破る錐を探すが、その錐が見つからない」と述べています。
 そんな折、文部省から英国留学の打診があり、これを受けてロンドンへ官費留学します。学生時代に果たせなかった英文学を極めようと、街中を歩き回りひたすら勉強しますが、やはりその答えはどうしても見つかりません。やがて部屋に閉じこもり、本さえ読まなくなります。体力も衰え、このままでは死んでも死にきれないと思いつめます。
 このとき漱石は初めて「文学のなんたるか、その概要を自力で作り上げるよりほか、自分を救う道はない」と悟ります。「今までは他人本位であった。人の書いたものを読んで、人の話していることを聞いて、解ったつもりになっていた。まるで、目の前にある酒を人に飲んでもらって、その評を聞いて、自分が味わったつもりになっていたようなもの。何ごとも、自分が基本であるという『自己本位』を手に入れて、私は強くなった」とこの講演で述懐しています。

 この「自己本位」を手に入れて日本に帰り、文豪夏目漱石は誕生します。このままでは死んでも死にきれないほどの苦悩と向き合って、文豪漱石がスタートしたのです。
 
 私たちも、漱石の「自己本位」に匹敵するモノを手に入れて、限りある人生を有意義に過ごしたいものです。


 参考文献;『私の個人主義』夏目漱石 講談社学術文庫


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遠諱風景

特別展 妙心寺 ~禅の心と美~ 於;名古屋市博物館

開山無相大師650年遠諱記念として「妙心寺展」が、東京国立博物館(1/20~3/1)と京都国立博物館(3/24~5/10)で開催され、延べ25万人以上の方々にご覧いただきました。その第3弾といたしまして名古屋市博物館において今秋10月10日(土)~11月23日(月・祝)まで開催を予定しています。以下このたびの展覧会のご案内文を紹介いたします。

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妙心寺は建武4年(1337)に、花園法皇(1297~1348)が自らの離宮を改めて禅寺としたことに始まる京都の名刹です。
禅宗を深く信仰していた法皇が開山に迎えた関山慧玄禅師(1277~1360、諡号・無相大師)は、美濃伊深の山里(後の美濃加茂市 正眼寺)で修行していた禅匠でした。
坐禅をとおして悟りを開く妙心寺の教えは、信長・秀吉など戦国武将のあつい信心を得て、全国各地に広がり、とくに中部地方には妙心寺派寺院が数多くあります。
本展は開山無相大師650年遠諱にちなみ、本山・塔頭(たっちゅう)および妙興寺(一宮市)や瑞泉寺(犬山市)などの中部地方の寺院が所蔵する優れた文化財を選りすぐって紹介するものです。歴代名僧の頂相(肖像画)や墨蹟、仏像、屏風絵などの名品をとおして、現代人の心にも深く響く、禅の心と美の世界をご堪能下さい。

期間中、前期(10/10~11/1)と後期(11/3~11/23)で展示作品が大幅に入れ替わります。開館時間は9時半~17時(入場は16時半まで)、休館日は月曜日(但し10月12日・11月23日は開館)と10月13日(火)・27日(火)となります。この機会にぜひご覧ください。(詳細は以下まで)

※ 名古屋市博物館 電話052-853-2655 ホームページhttp://www.museum.city.nagoya.jp
※ 第4弾 九州国立博物館(平成21年1月元日~2月末日)本山・塔頭・九州そして沖縄の妙心寺派寺院の名宝を一堂に紹介します。


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遠諱法要

妙心寺五祖 義天玄承禅師550年遠諱法要

去る7月17日(金)~18日(土)の2日間、妙心寺五祖 義天玄承禅師550年遠諱法要が妙心寺法堂に於いて延べ600名の参拝者を得て盛大に厳修されました。

義天玄承禅師は、今から550年前の長禄3(1459)年、妙心寺開山 関山慧玄(かんざんえげん)禅師の100年遠諱を、龍安寺で営む決心をなさっています。当時、妙心寺にはまだ法堂(はっとう)も仏殿もなかったからです。五山の長老と門下の法孫を招いて盛大に法要をつとめようとされましたが、五山長老は龍安寺住職が大衆を導いて行道(注)することを許しませんでした。そこで、義天禅師は行道を取りやめ、香を焚いて偈のみを朗々と唱えられたと伝えられています。


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「知らず伝法 正か邪か、滅却することは彼の老骨楂(ろうこっさ)に還(ま)かす、微笑春は回る百年の後、華園なお一枝の華あり」

応永6(1399)年、大内義弘の乱により時の将軍足利義満によって、寺地・寺産とも没収された妙心寺は未だ再興なりませんでしたが、ここに関山の法(おしえ)を伝える児孫一人ありという義天禅師の気概がヒシヒシと伝わってまいります。
550年後の今日、私たちは義天禅師のお心のこもったこの偈を、じっくりと味わってみたいものです。

※ 義天玄承禅師は妙心寺五祖のほか、塔頭如是院開祖、石庭の龍安寺開山でもあります。
注)行道;仏を敬礼するためにその周囲を仏の右方に向かって旋繞すること。


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